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日帝が収集したアジア文化遺産、植民地朝鮮博物館が封印を解く

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

仏教彫刻部門に出てきた北斉時代「半跏思惟像」。(写真=国立中央博物館)

過去の朝鮮総督府の建物中央ホール天井にあった壁画。(写真=国立中央博物館)

韓国文化のアイデンティティの求心点とも言える国立中央博物館が久しぶりに勇気ある企画展を催した。28日、ソウル西氷庫路(ソビンゴロ)の常設展示館1階特別展示室で始まった「東洋を収集する-日帝強制占領期間のアジア文化財の収集と展示」だ。

題名自体が含蓄的な情報を含んでいる。1909年11月、韓国初の博物館として昌慶宮(チャンギョングン)に開館した皇室博物館から、45年の解放を迎える時まで李王家博物館(美術館)、朝鮮総督府博物館などに変貌し、日帝の好みと意図に沿って収集された遺物をつぶさに見てみようという意味だ。日帝がこの博物館遺物展示を通して朝鮮の歴史を日本の手法で過去化させようとした真意を探ろうというものだ。

「なぜ今なのか」という残念な気持ちを抱いて入った展示場は大きく4つの分野に分かれており、100年近く密封されていた植民地時代の文化遺産200点余りを展示している。東アジアの古代、西域美術、仏教彫刻、日本近代美術だ。地域や主題で分類している。展示を担当した国立中央博物館アジア部の苦悩がにじみ出ている地味な構成だ。


日本近代美術はすでに2002年に一度公開されたことがある。日帝は韓半島(朝鮮半島)から日本に文明を伝えた渡来人の意味を縮小し、両国の共通点を強調するために活用した漢の国など古代美術コレクションを前に出したが、今回出された遺物だけでは説得力は弱かった。

日帝が文化統治のための代表資料として活用したという西域美術コーナーや、石窟庵(ソックラム)などと同時代に製作されたものとして編年を記録して韓日仏教彫刻の類似性を強調したという仏教美術ショーケースも光を失った。

敏感ながらも思慮深さが必要とされる問題意識を十分に解き明すには時間が不足していたのだろうか。高麗(コリョ)大学大学院のイ・グァンピョ氏は、最近発表した論文『近現代古美術コレクションの特性と韓国美の再認識』で、日帝強制占領期間の博物館について「植民地侵略政策の一環として登場した点、初めから行政力を通じて進められた点で限界がある」と指摘した。一言で「文化侵奪」だったということだ。

ソウル大奎章閣韓国学研究院客員研究員のモク・スヒョン氏も論文『日帝下の李王家博物館の植民地的性格』で「日帝文化統治は1919年の3・1独立運動以降だとされている。しかし、李王家博物館設立の性格からして、古跡調査事業が1902年に始まったことを念頭に置くならばすでに併合前から文化を通じた統治が始まっていたとみなければならない」と分析した。

だが、展示場で観覧客がこのような脈絡を読み取るのははかなり難しい。立場は曖昧で、遺物配置は筋道を捉えにくい。何かを伝えたいという学芸研究員の奇想は良かったが、現場に実現させた結果はどちらにも取れるようなものだった。

ただ一つ、気付かされたことはある。日帝が企画した帝国主義的野心に動員されたものの、韓国も文化財略奪の被害者であり加害者だったという歴史的事実だ。

同展示は来年1月11日まで開催される。来月14日には国立中央博物館大講堂で今回の展示を主題にした国際学術大会も予定されている。



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