李奉昌義士が死刑を言い渡された1932年9月30日、朝日新聞が号外を発行した。李義士の写真の横には次のような説明がある。「大逆犯人李奉昌(上)彼の生家(下右)と東京で宿帳に認めた筆蹟」(写真=梅軒記念館)
李義士は1932年1月8日、東京で裕仁天皇の行列に向けて手榴弾を投げた。宮内大臣の馬車がひっくり返ったが、義挙は失敗した。逮捕された李義士は東京刑務所に収監された。9月30日、東京裁判所で350人余りの警察が幾重にも囲んだ中で行われた裁判で死刑を言い渡された。その日に朝日新聞が発行した号外に李義士の横顔が掲載されている。10月10日の絞首刑で殉国する直前の姿だ。当時、李義士は未婚だった。
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