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【コラム】韓国政治のマヒ、お手上げなのか(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
この5カ月間、韓国議会の民主主義はマヒ状態に陥っていた。いわゆる87年体制の効用性が次第に限界に達しているという憂慮が深まると、ついにはセウォル号惨事の余波が韓国政治を民主政治の破綻の危機に追い込んでいる。

全国をさらった民主化の興奮の中でスタートした87年体制が、どうして年を繰り返すほどにその輝きと効能が失われることになったのか、冷静に振り返ってみなければならない時だ。特に、このように深刻な事態にもかかわらずこれに対する解決策や治癒策を模索する積極的な動きが見られないのは、実に奇異な現象に違いない。

独裁政権や権威主義体制を崩壊させた民主化の成功が、自動的に民主政治制度の定着と安定的な運営を保障できないということは、すでに政治発展論では常識化されて久しい。北アフリカと中東で花が咲いたアラブの春が、どれほど空しく終わった短い夢であったかを見なかっただろうか。


ゆえに政治参加と言論の自由が保障されて公正選挙が常識化され、何よりも軍の政治介入の可能性が基本的に消えた韓国の民主化は、ひとまず成功事例であることは間違いない。しかし87年韓国民主化の成功は、国民の自由投票で当選した大統領が法と制度によって国家を運営するという外形的変化に焦点が合わせたのに比べ、「多数による統治、少数の権利保障」という代議民主主義の原則を後押しできる市民政治文化を担保するには、極めて粗雑にしていたというのが事実だ。

議会が中心となる代議民主主義の運営は、冗長な討論と数多くの妥協および折衝の長い過程を経るほかはないので、これに耐えうる国民の忍耐心を必要としている。

しかし能率とスピードに重点を置く、特にどちらかの確実な決断を好む韓国的な政治文化では、議会民主主義のわずらわしい手続きが非能率的であり非生産的だという批判的見解にぶつかることが常だった。

そのたびに強力な指導者の快刀乱麻式の国事処理に対する期待、場合によっては独裁に対する郷愁さえも高まる可能性があった。また一方では議会政治のうっとうしい手続きにしばられるよりは、街に出て物理的な行動で政治の行方を決定するという衝動が習慣化してきたのも事実だ。



【コラム】韓国政治のマヒ、お手上낂なのか(2)

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