テレビに政治家が出てくれば見るのも疎ましくてチャンネルを回してしまうという言葉に誰もが共感するほど、今や大多数の国民は政界に対して極度の食傷感を持つことになった。だが、こうした世論の批判的な流れにも関わらず、政界は依然としてあまりにも堂々としているという印象を与える。さらに党に対する支持率が大きく下落しても別に気にしていないようだ。「ヒトラーも維新も国民が作ったもの」という新政治民主連合の盧英敏(ノ・ヨンミン)議員の話は結局、世論が間違っていて国民が愚かだという意と変わらない。果たしてこんな考え方は盧議員だけのものだろうか。政界が国民多数の考えを無視し、さらに立ち向かうことさえするのは、私たちの代議制民主主義に何か問題が生じたことを意味するものだ。どこで、このような傲慢や独善が生じたのだろうか。
資本主義が市場での競争を前提とするならば、自由民主主義は選挙という政治的競争に基づく。企業が、値段が安く品質の良い商品を作らなければならないのは、それでこそ市場競争で生き残ることができるためだ。そして市場で競争力を持つためには何よりも消費者の好みにうまく合わせなければならず、そうでなければ市場から淘汰されるしかない。原則的に見れば、政治市場での競争論理もこれと変わらない。国民の要求をうまく受け入れて、これを政策的に実現できる政党がより大きな支持を得ることになり、権力に向けた競争で勝利することになるのだ。
【中央時評】政界再編が必要だ=韓国(2)
資本主義が市場での競争を前提とするならば、自由民主主義は選挙という政治的競争に基づく。企業が、値段が安く品質の良い商品を作らなければならないのは、それでこそ市場競争で生き残ることができるためだ。そして市場で競争力を持つためには何よりも消費者の好みにうまく合わせなければならず、そうでなければ市場から淘汰されるしかない。原則的に見れば、政治市場での競争論理もこれと変わらない。国民の要求をうまく受け入れて、これを政策的に実現できる政党がより大きな支持を得ることになり、権力に向けた競争で勝利することになるのだ。
【中央時評】政界再編が必要だ=韓国(2)
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