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<アジア大会>35歳の金鋳城、バスケット金メダル狙う

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
バスケット男子韓国代表のセンター金鋳城(キム・ジュソン、35、東部)は韓国バスケットの大黒柱だ。他の選手より遅い中学3年でバスケットを始めた金鋳城は、4年後の大学1年で初めて太極マークを付け、1998バンコクアジア競技大会に出場した。2002年釜山アジア競技大会では決勝で中国に102-100で逆転勝ちし、金メダル獲得に貢献した。当時、ソ・ジャンフン(40、引退)とともにツインタワーを構築した金鋳城は決勝で21得点した。米プロバスケット(NBA)でプレーしていた229センチの恐竜センター、ヤオミン(34、引退)にも劣らなかった。

1998年から5回連続でアジア競技大会に出場する金鋳城は、今回の仁川アジア競技大会が太極マークを付けてプレーする最後の舞台となる見込みだ。スペインで開催中の国際バスケットボール連盟(FIBA)ワールドカップ(W杯)を終えて4日に帰国した金鋳城に、アジア競技大会への意気込みを聞いた。

--アジア競技大会には5回目の出場となる。


「昨年アジア選手権を終えた後、これから代表チームとは縁がないだろうと漠然と考えた。しかしまた機会が訪れた。アジア競技大会5回連続出場記録に誇りを感じる。その誇りが無駄にならないよう仕上げをうまくやりたい」

--バスケットファンは2002年の金メダルの再現を望んでいる。

「当時はとにかく中国さえ越えればよいと考えていた。中国に勝つために必死に練習した。私もヤオミンを阻止するために手で彼をつねったりもした。ソ・ジャンフン先輩、キム・スンヒョン先輩らは非常にバスケットが上手いので、自分も負けてはいけないと思って頑張った。中国に勝った時は夢のようだった。そのメンバーに入っていたことだけでも幸せで光栄だ。今は中国だけでなくイランやフィリピンなど強いチームが多い。さらなる研究と努力が必要だ」

--2006年と2010年のアジア競技大会はどうだったのか。

「2002年の栄光があったが、2006年ドーハ大会では挫折感を感じた(当時韓国は8強で脱落)。わずか4年で『自分たちはこのレベルなのか』という考えになり、本当につらかった。逆に2010年広州大会では新しい希望が見えた。決勝で中国に敗れたが、試合に臨む姿勢や精神力で2002年に劣らなかった。このようにアジア競技大会は私に希望と挫折を抱かせた」

--プロ選手生活をしながら、けがや成績不振など厳しい時期も多かったと思うが。

「自分に与えられた役割に最善を尽くし、恥ずかしくない選手になろうとした。負けた時はいらだつが、逆に勝てばおもしろいのがバスケットだ。バスケットにどっぷりと浸かり、バスケットを愛しただけだ。家族もそういう自分に大きな力となった。半年以上も留守にしても妻はいつも私を黙々と応援してくれる」

--自分に何点をつけたいか。

「60点ほど。これも多いかもしれない。私はバスケットが上手い選手ではない。身長は高いが、パワーやテクニックがあるわけではない。現役から引退するまで残りの40点は満たせないようだ」

--仁川アジア競技大会の目標は。

「当然、最も高い表彰台に立つことだ。太極マークを付けてプレーする度に、最善を尽くして勝たなければという気持ちになる。今は本当にアジア競技大会の金メダルが欲しい」



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