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【コラム】慰安婦の少女像、アルメニアから学べば(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

イラスト=カン・イルグ

短く切った髪、素朴な韓服に握りしめた両手。ソウル中学洞(チュンハクトン)の「平和の少女像」はもう2年半、日本大使館を無言で凝視している。恨みが頂点に達した日本軍の慰安婦の歴史を忘れないでおこうと建てられた銅像だ。

千の言葉よりも強烈な感動のためなのか、この小さな少女像の建設ブームが国内外で起きている。国内では日本大使館の前をはじめ高陽(コヤン)・城南(ソンナム)・水原(スウォン)・巨済(コジェ)・華城(ファソン)など6カ所にすでに建てられ、多くの地方自治体が設立を推進中だ。

海外での熱気も相当なものだ。16日には米国カリフォルニア州グレンデールに続きミシガン州デトロイトにも入った。かといって米国の真ん中にもう1つ少女像が建設されたと満足に思うことなのか。必ずしも、そうではない。


ほんの少しさらけ出してみれば、双方の脈絡が全く違ったものからだ。グレンデールの少女像は市議会の承認を経て立てられた。そして建設場所は都市の中心である市立中央図書館の前だ。たまたま見慣れない少女像を発見した市民が、その理由に関心を持つところだ。

一方デトロイトの場合、市の許諾が取れずに公共の場所には入れなかった。窮余の策で建てられた場所が、韓国人文化会館内の前庭。韓国人の私有地だ。文化会館の出入り者の多数が、軍の慰安婦が何なの分かっている韓国人たちだ。米国現地の人たちに慰安婦問題を知らせる所としては問題がある。半分の成功だ。

なぜこうなったのか。米国に、こんなことわざがある。「すべてのことには理由がある」。秘密はグレンデール市民だった。多数が韓国人のように悲しい歴史を持ったアルメニア人だった。

人口300万人に慶尚道(キョンサンド)ほどの大きさの中央アジアの小国アルメニア。韓国ではあまり知られていないが20世紀初めにオスマン帝国によって無慈悲に虐殺される。当時のアルメニア人はオスマン帝国によって統治されていた。フランス革命以降、民族主義が台頭しながら帝国の支配に反旗を翻し、むごたらしい事態にあったのだ。そして亡くなった人は最大200万人。20世紀最初の大規模な人種虐殺だ。

生き残ったアルメニア人は世界のあちこちに逃げて、その中の多数が米国に来た。米国に来た者たちは1カ所に集まった。まさにグレンデールだった。現在の住民の30%が彼らだ。こうした歴史のためにアルメニア人は日帝に苦しんだ韓国人には同情的だ。このおかげで、ここできちんと少女像が建てられることができた。



【コラム】慰安婦の少女像、アルメニアから学べば(2)

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