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<韓国再・補欠選挙>30戦20敗…政府与党に苛酷だった公式崩れた(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
再・補欠選挙敗北の後遺症は、現在の与党も同じだった。李明博(イ・ミョンバク)政権(2008~2012年)時代に計4回の国会議員再・補欠選挙が行われて21人の議員を新しく選んだ。当時ハンナラ党が8地区で勝ち、第1野党の民主党が8地区、民主労働党・進歩新党が各1地区、無所属3地区だった。李明博政権の立場では2009年が残酷な年であった。4月29日に5地区で行われた再・補欠選挙でハンナラ党は全敗した。

10・28再・補欠選挙も似たような様相だった。ハンナラ党は江原道江陵(カンウォンド・カンヌン)と、慶尚南道梁山(キョンサンナムド・ヤンサン)では勝ったが、首都圏〔水原市長安(スウォン・チャンアン)、安山市常緑(アンサンシ・サンロク)乙〕と、中部〔忠清北道曽坪(チュンサンブクド・チュンピョン)-鎮川(ジンチョン)-槐山(クェサン)-陰城(ウムソン)〕を明け渡した。民主党は忠清北道での勝利を踏み台にして李元大統領の世宗(セジョン)市修正案に対する攻勢を高めたし、与党内でも当時の朴槿恵(パク・クネ)議員が「国民との約束を疎かにすれば2014年で無視されることになるだろう」と批判するなど反対の声を育てた。

再・補欠選挙は重量級の政治家の復帰の舞台でもあった。2011年の4・27再・補欠選挙では民主党の孫鶴圭(ソン・ハッキュ)候補が野党の不毛地帯である城南市盆唐(ソンナムシ・ブンダン)乙から出馬し、姜在渉(カン・ジェソプ)元ハンナラ党代表を破ってバッジをつけた。この時に敗れた姜元代表は事実上、政界を引退した状態だ。最近では昨年の4・24再・補欠選挙で国会に入城したセヌリ党の金武星(キム・ムソン)・李完九(イ・ワング)議員と当時無所属だった安哲秀(アン・チョルス)議員がいる。1年余りが流れた今、彼らは与党代表や院内代表、野党代表となって政界を動かしている。しかし今回の選挙で重鎮が大勢敗北しながら過去の姜元代表の前てつを踏む境遇に置かれた。大敗した野党指導部も「負けにくい選挙」で敗れたという責任論を避けがたくなった。

<韓国再・補欠選挙>30戦20敗…政府与党に苛酷だった公式崩れた(1)

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