「当時大学院生は50代の教職員で、私は留学を終えて帰ってきた30代の新進学者だった。大学院生は1984年に発表した私の博士論文の枠組みを基に88年2月に学位を受けた。私は、私の博士論文の延長線でこれよりも数カ月前の87年11月に学会に論文を提出、発表まで終えた。ところが学会誌が88年下半期に印刷されて出たため、まるで私が大学院生の論文を盗作したように誤って導かれたのだ。自分の盗作については過去と現在の基準が違う」。
彼の釈明がすべて正しいかは判断し難い。ただし公職適格性の可否を問い詰めるのに過度なものさしが動員されたことだけは間違いない。以後、そのものさしはほかの公職者を検証するのにも適用された。研究界の倫理の是非が公職の非適格者を見分ける基準として固まったのだ。政権交代後、与野党の立場が変わりながら金教授を落馬させたセヌリ党は、野党の検証攻勢がひどすぎると不平を言う境遇になれなかった。いつのまにか論文は能力・資質・兵役・財産よりもさらに厳格な検証基準に浮上した。
【時視各角】論文検証、このままで良いのか=韓国(2)
彼の釈明がすべて正しいかは判断し難い。ただし公職適格性の可否を問い詰めるのに過度なものさしが動員されたことだけは間違いない。以後、そのものさしはほかの公職者を検証するのにも適用された。研究界の倫理の是非が公職の非適格者を見分ける基準として固まったのだ。政権交代後、与野党の立場が変わりながら金教授を落馬させたセヌリ党は、野党の検証攻勢がひどすぎると不平を言う境遇になれなかった。いつのまにか論文は能力・資質・兵役・財産よりもさらに厳格な検証基準に浮上した。
【時視各角】論文検証、このままで良いのか=韓国(2)
この記事を読んで…