「韓半島からの渡来人によって日本の古代文化が花開いたことは事実だが、だからと『われわれがすべてやった』という解釈は避けなければなりません。日本に渡っていった人たちが日本人として生きていき自分たちだけの文化を作り出した努力を認めなければならないでしょう」。
文化遺産踏査ブームを起こした兪弘濬(ユ・ホンジュン)明智(ミョンジ)大学客員教授が『私の文化遺産踏査記―日本編3京都の歴史』を出版した。昨年出された九州編と飛鳥・奈良編に続く3冊目の日本踏査記で、日本の千年の古都京都を見て回る。13日にソウル市内で開かれた出版記念講演会で兪教授は、「釜山(プサン)から船に乗り九州に修学旅行に行く高校生らを見て、『あの子どもたちのための踏査記を書かなければならない』と考えたことがここまでくることになった」と話した。
今回の本では京都という都市が誕生し文化の花を咲かせる過程を時代順に踏査する。その道で自然に渡来人の痕跡と出会う。
京都で最も古い寺である広隆寺は新羅系渡来人の秦氏が建てた寺で、日本の国宝第1号である弥勒菩薩半跏思惟像があり韓国との縁が深い。日本の3大祭りのひとつである祇園祭を主管する八坂神社は高句麗系渡来人の八坂氏が建てた。20~30年前には旅行パンフレットや案内板にこうした内容が書かれていたが、現在ではあまり見られない。
「京都を訪問する多くの韓国人すらこうした事実を知らずにいます。秦氏の場合、学界で新羅系渡来人であることは確実だと認めているにもかかわらず、一般の日本人の間では始皇帝の子孫という誤った常識が通用しています」。
踏査記は韓半島渡来人が残した足跡を探すことにとどまらず、以後唐に習った「唐風」、自分たちの力で文化を編み出そうとする「国風」などを経て、京都が日本文化の首都として位置づけられていく過程を遺物と遺跡を通じ詳細に教える。旅行を計画する人たちのため5種類の踏査コースも提示する。年末に出版される「京都の名所編」では日本の美がよく表われている遺跡と名所を地域別に紹介する計画だ。兪教授は、「日本踏査記は『京都の名所編』を最後に終える。日本の文化遺産踏査を通じ世界史の中で韓国の現在を見つめる目を育ててほしい」と話している。
文化遺産踏査ブームを起こした兪弘濬(ユ・ホンジュン)明智(ミョンジ)大学客員教授が『私の文化遺産踏査記―日本編3京都の歴史』を出版した。昨年出された九州編と飛鳥・奈良編に続く3冊目の日本踏査記で、日本の千年の古都京都を見て回る。13日にソウル市内で開かれた出版記念講演会で兪教授は、「釜山(プサン)から船に乗り九州に修学旅行に行く高校生らを見て、『あの子どもたちのための踏査記を書かなければならない』と考えたことがここまでくることになった」と話した。
今回の本では京都という都市が誕生し文化の花を咲かせる過程を時代順に踏査する。その道で自然に渡来人の痕跡と出会う。
京都で最も古い寺である広隆寺は新羅系渡来人の秦氏が建てた寺で、日本の国宝第1号である弥勒菩薩半跏思惟像があり韓国との縁が深い。日本の3大祭りのひとつである祇園祭を主管する八坂神社は高句麗系渡来人の八坂氏が建てた。20~30年前には旅行パンフレットや案内板にこうした内容が書かれていたが、現在ではあまり見られない。
「京都を訪問する多くの韓国人すらこうした事実を知らずにいます。秦氏の場合、学界で新羅系渡来人であることは確実だと認めているにもかかわらず、一般の日本人の間では始皇帝の子孫という誤った常識が通用しています」。
踏査記は韓半島渡来人が残した足跡を探すことにとどまらず、以後唐に習った「唐風」、自分たちの力で文化を編み出そうとする「国風」などを経て、京都が日本文化の首都として位置づけられていく過程を遺物と遺跡を通じ詳細に教える。旅行を計画する人たちのため5種類の踏査コースも提示する。年末に出版される「京都の名所編」では日本の美がよく表われている遺跡と名所を地域別に紹介する計画だ。兪教授は、「日本踏査記は『京都の名所編』を最後に終える。日本の文化遺産踏査を通じ世界史の中で韓国の現在を見つめる目を育ててほしい」と話している。
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