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対馬に残した韓国の文化財142点

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

対馬研究院のファン・ベクヒョン理事長

日本の対馬には韓国の文化財がどれだけあるだろうか。これまでその現況が明らかになったことはない。

対馬研究院のファン・ベクヒョン理事長は最近出した『対馬に残っている韓国文化財』という本で142点だと明らかにした。仏像が88点で最も多く、青磁・白磁が17点、梵鐘と仏画11点などだ。対馬専門旅行会社を経営するファン理事長が17年にわたり対馬を毎週1回行き来しながら韓国の文化財を尋ね歩き両国の関連書籍40冊を検索した結果だ。

ファン理事長が見つけ出した文化財の中には国宝級のものもある。海神神社には青磁陰刻蓮花文梅瓶と青磁象嵌雲鶴文梅瓶の2点がある。


多久頭魂神社には青磁龍文透彫墩がある。この3点と似た文化財は韓国ではすべて国宝や宝物に指定されている。青磁陰刻蓮花文梅瓶は国宝252号でリウム博物館、青磁象嵌雲鶴文梅瓶は国宝68号で澗松(カンソン)美術館、青磁龍文透彫墩は宝物416号で梨花(イファ)女子大学博物館に保管中だ。

韓国の文化財が対馬にある理由に対しファン理事長は、「対馬をわれわれが管轄していた高麗時代に対馬の島主や豪族に贈ったものが寺刹に保管されたとみられる」と主張した。

義兵長崔益鉉(チェ・イクヒョン)の遺体が臨時安置された修善寺の扁額は朝鮮時代の顕宗(ヒョンジョン)の時代に兵曹判書を務めた金鶴鎮(キム・ハクチン)が日本に行く際にここに立ち寄って書いたものだ。崔益鉉は1906年に74歳の年齢で義兵を起こし日帝に逮捕され対馬刑務所で亡くなった。

修善寺には解放後に渡っていった梵鐘がある。この梵鐘には韓国の鐘の特徴である乳頭が9個のものだ。日本の鐘と違った点を不思議に思ったファン理事長が鐘に彫られた文と住職を通じ1947年に作られ渡っていったものと確認した。

ファン理事長は、「対馬に残っている多くの文化財は日本が盗み出したのではなく、長い間韓国と同じ生活・文化圏で文物を交流しながら自然に渡っていったものだ。日本を“文化財泥棒”扱いせず、対馬に置いて私たちのものだと誇るのが正しい」と話した。

ファン理事長は対馬の人々が韓国語を学んだ歴史を追跡した論文「対馬の韓語学習に関する研究」で2010年に東義(トンウィ)大学から博士学位を受けた。



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