歴史が私たちに与える教訓の中の1つが、人間は過ぎ去った歴史から何の教訓も得られないということだ。セウォル号惨事も、1995年の三豊デパート崩壊事件とそっくりだった。三豊事件の主犯は、お金に狂った悪徳企業家だった。手抜き工事や管理の怠慢は、むしろたやすいことだった。建物が崩れるという報告を聞いても「一日の売り上げ」をうんぬん言って顧客をずっと押し込めていた。これもたやすいことだった。崩壊の危険が近づくと、顧客はもちろん会社職員にさえ知らせないまま社長と幹部だけが脱出した。人の仮面をかぶっていたが、人であることを放棄した畜生のやからであった。その上、手抜き工事に目をつぶって管理・監督を疎かにする代償としてわいろを受け取った官僚もいた。
セウォル号の本当の犯人も、お金だけを好む悪徳企業家だ。船が転覆するほど貨物を載せて、古い船を買って運行しながらも「新しい船は高くて」と弁解し、事故の前兆があったのに無視をしていた企業家だ。乗客や同僚船員に知らせないまま船長と幹部だけが脱出したのも三豊と全く同じだ。安全検査を疎かにして管理・監督の責任を放棄した機関と癒着関係で汚れた官僚がいたことも。西海(ソヘ)フェリー号、聖水(ソンス)大橋、大邱(テグ)の地下鉄、マウナオーシャンリゾートの原因も同じだ。
このように同じ大型惨事が繰り返される理由は何か。意識や文化などソフトウェアが変わっていなかったからだ。惨事の原因である拝金主義と成果至上主義は、むしろもっと深刻になった。数十年間叫んできた「速く、速く」の文化も相変わらずだ。目標を達成するために疾走するシステムも同じだ。そうやってデパートを建て、橋を建設し、地下鉄を通した。もちろん「漢江(ハンガン)の奇跡」はその産物だ。肯定的な面だ。だが肯定と否定はコインの両面だ。「世の中に無料(タダ)はない」という当然の真理をこれまで見逃していた。狂ったように成長するその裏面に、狂ったように沈没する船と、狂ったように崩壊するデパートと橋があるということを度外視していた。正直や誠実、勤勉という倫理は消え、顔色をうかがい知恵を絞って生きるべきだという要領がその場を埋めた。不正と不条理が積み重ねられた理由だ。歴史学者アーノルド・トインビーが話したそのままだ。「後進国は、西洋の技術や方式だけをまねるのではなく、それらを使う精神も共に学びなさい」との忠告の言葉だ。精神を学べなかったから大型惨事が相次ぐのだ。トインビーの警告を無視した代償だ。
【コラム】韓国社会に根付く「狂ったように」からの脱出(2)
【特集】韓国旅客船「セウォル」沈没事故
セウォル号の本当の犯人も、お金だけを好む悪徳企業家だ。船が転覆するほど貨物を載せて、古い船を買って運行しながらも「新しい船は高くて」と弁解し、事故の前兆があったのに無視をしていた企業家だ。乗客や同僚船員に知らせないまま船長と幹部だけが脱出したのも三豊と全く同じだ。安全検査を疎かにして管理・監督の責任を放棄した機関と癒着関係で汚れた官僚がいたことも。西海(ソヘ)フェリー号、聖水(ソンス)大橋、大邱(テグ)の地下鉄、マウナオーシャンリゾートの原因も同じだ。
このように同じ大型惨事が繰り返される理由は何か。意識や文化などソフトウェアが変わっていなかったからだ。惨事の原因である拝金主義と成果至上主義は、むしろもっと深刻になった。数十年間叫んできた「速く、速く」の文化も相変わらずだ。目標を達成するために疾走するシステムも同じだ。そうやってデパートを建て、橋を建設し、地下鉄を通した。もちろん「漢江(ハンガン)の奇跡」はその産物だ。肯定的な面だ。だが肯定と否定はコインの両面だ。「世の中に無料(タダ)はない」という当然の真理をこれまで見逃していた。狂ったように成長するその裏面に、狂ったように沈没する船と、狂ったように崩壊するデパートと橋があるということを度外視していた。正直や誠実、勤勉という倫理は消え、顔色をうかがい知恵を絞って生きるべきだという要領がその場を埋めた。不正と不条理が積み重ねられた理由だ。歴史学者アーノルド・トインビーが話したそのままだ。「後進国は、西洋の技術や方式だけをまねるのではなく、それらを使う精神も共に学びなさい」との忠告の言葉だ。精神を学べなかったから大型惨事が相次ぐのだ。トインビーの警告を無視した代償だ。
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