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<韓国旅客船沈没>30分おきに葬列…見送る住人も涙(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

セウォル号沈没事故で犠牲となった高校生の葬列が学校に向かっている。

ここの住民はニュースを見ない。ニュースを見れば涙があふれるからだ。京畿道安山市古桟(キョンギド・アンサンシ・コジャン)1洞で食堂を経営するキムさんもそうした1人だ。1日中ニュースを避け野球中継やテレビ通販チャンネルに回した。「毎日あいさつしていた隣人たちがテレビに出て泣いているじゃないですか。どうしてニュースを見られますか…」。通りはすでに喪中だった。時々出会う住民たちは全員黒い服を着ていた。道に立って言葉を交わす人たちは声を殺しひそひそ話した。「町内全体が葬儀場だ」と話しながら50代の男性がため息をついた。

24日午前10時。古桟1洞の狭い住宅街の路地に黒いリムジンが入ってきた。中が見えない黒い窓には「謹弔」の2文字が記されている。「どうして…どうして…」。リムジンが路祭のために檀園(ダンウォン)高校正門に近づくと遺族が車に向かって泣き叫んだ。道を歩く住民たちは黒いリムジンに出会うたびに歩みを止めた。消えるリムジンに向かって頭を下げたある住民は涙をふいた。この日黒いリムジンは30分間隔で1台ずつ古桟1洞に入った。

セウォル号に乗った檀園高校の生徒325人のうち32%の107人がこの古桟1洞に住んでいた。このうち80人が死亡または行方不明となった。アパート1棟あたり1~2人、規模が大きい団地型アパートでは15人を超える生徒が消えた。古桟洞に近い大型スーパー2カ所だけで10人を超える従業員が子どもを探し珍島(チンド)に向かった。静まり返った町内、古桟1洞を23日から3日間見つめた。あまりにも悲しい無声映画同然だった。


◇「学校ができて住みやすくなったのに…」

古桟1洞は多世帯住宅と連立アパートが立ち並ぶ庶民住居地域だ。町内に5階建て以上の建物はない。これといった有名なビルもない。田畑だった町内に多世帯住宅が建ち始めたのは1980年代だ。安山西部地域に半月始華(パンウォル・シファ)工業団地ができたのが81年。韓国政府は始興郡(シフングン)と華城郡(ファソングン)の一部をまとめ86年に安山市(アンサンシ)に昇格させた。工業団地の労働者の住居のための背後都市が必要だった。古桟1洞の多世帯住宅とアパートの大部分がこの時期に建てられた。

住宅ができてしばらくはごった返すことはなかった町内だった。20年前の90年代初期まで現在のようにアパートがぎっしりと立ち並んではいなかったという。「みんなマンションに住みたがるでしょう。ここは相対的にひっそりとしていて、マウルバスも本数が少ないし…」。21年前に古桟1洞に来て食堂を経営するキム・ソンブンさんは、「引っ越してきたころは泥棒も多く空き家も多かった」と話した。土地だけ買っておき家は適当に建てたところも多かった。

町内が華やかになったのは学校のおかげだ。古桟1洞に檀園中学・高校ができたのは2005年。学校ができると住民が目に見えて増え始めた。新しく引っ越してきた人たちはほとんどが近隣の工業団地で働く生産職の労働者だった。古桟1洞は40~50代の住民が35%に上り、全国平均の30.8%より明らかに多いのも学校のおかげだと関係者は推定する。今回の犠牲者家族をはじめ子どもたちを中学・高校に送る人たちがこの年代だ。 「学校ができて住みやすい町という話が多く聞かれ始めました。子どもたちの声がよく聞こえるので雰囲気も活気が生まれたというか。町内がうまくいったのはみんな学校のおかげなのにこんなことが起きるとは…」。キム・ソンブンさんは言葉を濁した。(中央SUNDAY第372号)





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