2014年4月珍島(左)と2011年5月福島における体育館の様子。
2011年の東日本大震災の被災者も体育館などで生活するのは同じだった。だが、当局は日章旗と「がんばれ日本」という言葉が印刷された包装ボックスで家族別に仕切ったスペースを作った。同年5月21日に福島を訪問した当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領がそうしたスペースに座って住民を慰める場面が報道されたので韓国の公務員たちもこれを覚えているだろう。それでも韓国の被害者家族は1週間にわたりそんなところにとどまっている。「国民に対する配慮不足」という言葉しか表現する言葉がない。
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