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【コラム】“IT強国”韓国、水中後進国に転落(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
涙を我慢しようと歯を食いしばらなければならなかった。あまりの痛ましさに眠れなかった。恥かしくていたたまれずどうしようもなかった。先週末をそのように過ごした。私だけだろうか? 子どもを持つ大韓民国の親なら、「どうしようお母さん。愛してる」という最後に発信されたメッセージを見て胸が張り裂けない大人がどこにいようか。

広大な海で、家ほどの大きな波に飲まれて沈没したというなら諦めることもできよう。しかしこれは潮流が少し強い多島海(タドヘ)の真ん中のことで、漁船数十隻と連絡船が浮かんでいる沖合でひっくり返った旅客船を2時間以上も放置していたことに全く納得がいかない。そのうえ将来の希望に満ちた子どもたち数百人を捨て置いたまま、船長と乗務員があわてて脱出したこの惨事をどのように理解せよというのだろうか。

1912年4月、タイタニック号沈没当時、エドワード・ジョン・スミス船長は乗客1700人余りを救って船とともに沈んだ。乗務員だといって、生命への愛着や恐怖がないと誰がいえようか。「英国人らしく行動せよ(Be British)!」この一言で乗務員は救助隊に変わった。


韓国人らしく行動せよ(Be Korean)! このような言葉があったとすれば、本当にあったとすればこれは何なのだ。先の尖った船首まで沈んだセウォル号は赤字不良企業の危険な生命をつなぐ老いぼれ馬だった。経営陣の目には赤字が記入された数字だけが見えていただろうし、貨物室と船室を違法に建て増して過剰積載を黙認していたに違いない。船長と乗務員の最大の関心事はお金だった。霧と豪雨の中を通り抜けてでも乗客と貨物を荷物のようにうまくさばく船長であるほど業務手当てをたくさんもらったことだろう。乗客の生命線であるライフジャケットや救命ボートに目が行くわけがなく、職務マニュアルは目を通してからかなり久しい。

険しいことで有名な孟骨(メンゴル)水道を通過しながら2等航海士、船長は“きちんと”マニュアルを守った。8時からは操舵室を任せても良いという規定のことだ。韓国人らしかった。午前8時48分、老いぼれた船が横に横にと倒れていった。寝室から慌てて飛んできた船長は30余分後に乗務員の脱出を命じた。彼らが命を救われているその瞬間、その他の生徒や乗客の生命は危険にさらされていた。



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