広大な海で、家ほどの大きな波に飲まれて沈没したというなら諦めることもできよう。しかしこれは潮流が少し強い多島海(タドヘ)の真ん中のことで、漁船数十隻と連絡船が浮かんでいる沖合でひっくり返った旅客船を2時間以上も放置していたことに全く納得がいかない。そのうえ将来の希望に満ちた子どもたち数百人を捨て置いたまま、船長と乗務員があわてて脱出したこの惨事をどのように理解せよというのだろうか。
1912年4月、タイタニック号沈没当時、エドワード・ジョン・スミス船長は乗客1700人余りを救って船とともに沈んだ。乗務員だといって、生命への愛着や恐怖がないと誰がいえようか。「英国人らしく行動せよ(Be British)!」この一言で乗務員は救助隊に変わった。
【コラム】“IT強国”韓国、水中後進国に転落(2)
【特集】韓国旅客船「セウォル」沈没事故
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