キム・デシク教授とキム・トゥシク教授
ソウルの「城北洞(ソンブクトン)の渓谷で育った」2兄弟は、幼い時から違っていた。兄のキム・デシク教授がトラブルメーカーだったのが後で遅れて勉強に開眼したケースならば、弟のキム・トゥシク教授はずっと模範生だった。気質ほどに政治的指向も違う2人は、本の前半部分では韓国の進歩・保守について激しい論争を繰り広げる。自らを「舎堂洞(サダンドン)の右派」と話す兄が、「大衆は無知だ」と考えている進歩エリート主義を批判すれば、「奉天洞(ポンチョンドン)の左派」の弟は、「進歩派は、自分と意見が違う人だからと言ってまともな人間を監獄に入れはしない」と言って反論する。「10年余り前から1週間に1回ずつ兄と登山をしながら多くの話を交わした。それと共に、自分と違う政治的立場を持った人の考えを、とても多く理解することになった」(キム・トゥシク教授)。
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