オランド大統領が3月30日の地方選挙惨敗による内閣改造を断行するまでの約2年間、ペルラン氏はオランド政権の中小企業・デジタル経済相だった。フランスのデジタル力量を強化する「フレンチ・テック(French Tech)」を導き、業界から好評を受けた。内閣改造直前にはペルラン氏の閣僚残留運動が行われるほどだった。しかし「小さな政府」レベルで省庁が統廃合され、ペルラン氏のポストもなくなった。業界ではツイッターを中心に「ペルラン氏がずっとデジタル業務を引き受けてほしい」という要求が出たが、多く人々は「それでも政府の仕事を引き受けたので幸い」と安堵する雰囲気だ。
ペルラン氏は生後6カ月の1974年、フランスの養親に引き取られた。7歳下の妹も韓国出身だ。ペルラン氏は閣僚になった後、韓国メディアのインタビューで、「韓国人と同じ外見の人が他の国で閣僚になったことを珍しく思うのは理解するが、あまりにも大きな関心に驚いた」とし「鏡に映った私の姿をつくづく見ても私はフランス人」と話した。