89年夏から東欧にある西ドイツ大使館に向かった東ドイツ人の脱走の行列が続いた。その年の10月4日、プラハにとどまっていた東ドイツ人を乗せて西ドイツへ向かった4両の特別列車が、ドレスデン中央駅を通り過ぎることになった。この知らせを聞いたドレスデンの住民5000人余りが鉄道に詰めかけ、警察が列車に乗ろうとする住民たちを武力阻止してデモが激化した。連日街頭デモが続いて5日目の9日。ドレスデン市当局がデモ隊の代表団と対話をすると一歩譲歩した。東ドイツ地域で、暴力による鎮圧の代わりに対話を始めた最初の都市であった。
89年12月19日、当時のヘルムート・コール西ドイツ首相のドレスデン演説は、ためらっていた政界だけでなく市民の考えも変えた起爆剤だった。それまでも東ドイツ政府の改革を要求していた市民が、コール首相の演説以後、統一を望むという意思を表出し始めた。デモのスローガンが「私たちは国民だ(Wir sind das Volk)」から「私たちは1つの国民だ(Wir sind ein Volk)」に変わった。
朴大統領ドイツで統一演説…ドレスデン工大を選んだ理由は?(2)
89年12月19日、当時のヘルムート・コール西ドイツ首相のドレスデン演説は、ためらっていた政界だけでなく市民の考えも変えた起爆剤だった。それまでも東ドイツ政府の改革を要求していた市民が、コール首相の演説以後、統一を望むという意思を表出し始めた。デモのスローガンが「私たちは国民だ(Wir sind das Volk)」から「私たちは1つの国民だ(Wir sind ein Volk)」に変わった。
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