1万8520人の犠牲者(行方不明者含む)と前例のない原発事故を招いた東日本大震災が発生してから3月11日で満3年。
中央日報・JTBC取材チームは韓国メディアでは初めて、沿岸を通じて福島第1原発前100メートルの距離にまで接近した。大きく開かれた海であるため、放射能の心配はないと予想していたが、実状は違った。取材チームを迎えたのは恐怖の海だった。そこには海に流れる汚染水と「放射能ホットスポット」に変わってしまった防波堤があった。
先月23日午前9時、福島いわき市久之浜港。2カ月間ほどの説得の末、いわき漁業協同組合と日本海上保安庁から、漁船で原発に接近する許可を受けた。目的地は港から30キロほど北側にある福島第1原発沖。
取材陣を乗せた船は4.9トン、13人乗りの底引き網小型漁船「幸運丸」だ。「こう見えても最高時速57キロまで出る」という船長の吉田吉雄さん(61)の言葉のように、全速力で船が走り始めると、取材陣は強風としぶきのために立っているのも難しかった。
出港後10分ほど過ぎると、右側に広野火力発電所が見えた。日本国内の54基の原発がすべて停止したためか、ここの煙突からは白い煙がずっと上がっていた。さらに20分ほど行くと、今度は福島第2原発が現れた。
事故当時、非常電源4つのうち1つが奇跡的に機能し、第1原発のような惨事を免れた所だ。放射能数値を測定すると1時間あたり0.09マイクロシーベルト。一般人の放射能被曝許容基準値の約0.19マイクロシーベルトよりはるかに低かった。
午前10時。港を出発して1時間ほど過ぎると、福島第1原発が姿を現した。緊張感が突然高まった。取材陣は防護服と特殊マスクを着用した。真っ先に目に入ったのは白い外壁で内部の建物を覆った4号機。1533本の核燃料棒を取り出して移す作業が進行中で、各種クレーンや工事用装備を移す姿が見えた。
その右側には、3年前の3月14日午前11時1分に水素爆発が発生した3号機があった。「水素爆発ではなく核爆発だった」という分析が出るほど大規模な爆発だったのが分かるように、3号機の外壁の数カ所は崩れ落ちたままだった。1・2号機はきれいな外壁で整頓されていた。
4号機の左側の山のふもとには汚染水貯蔵タンクが見えた。放射能汚染水流出事故が絶えず続いているところだ。現在ここに設置されているタンクは約1000基。量でいうと43万トンで、オリンピック正規規格プール150個ほど満たす。
安倍晋三首相が昨年9月のオリンピック総会で、「汚染水の影響は0.3平方キロ以内に完全に遮断されている」と述べた港湾に近づいた。原発からの距離はわずか100メートル。
ピ~ピ~。取材陣が撮影のために船首に行くと、放射線測定機が警告音を出し始めた。数値は1時間あたり2マイクロシーベルト。基準値の10倍だった。状況は急変した。船が堤防に沿って回りながらテトラボッドと呼ばれる消波ブロックのそばを通過する瞬間、放射線測定機の画面が突然、真っ赤になった。ピー! ピー! 激しく警告音が鳴った。危険な状況という意味だ。恐怖が襲撃した。
<福島原発事故から3年>安倍首相が汚染水を遮断したという場所に行ったところ…(2)
中央日報・JTBC取材チームは韓国メディアでは初めて、沿岸を通じて福島第1原発前100メートルの距離にまで接近した。大きく開かれた海であるため、放射能の心配はないと予想していたが、実状は違った。取材チームを迎えたのは恐怖の海だった。そこには海に流れる汚染水と「放射能ホットスポット」に変わってしまった防波堤があった。
先月23日午前9時、福島いわき市久之浜港。2カ月間ほどの説得の末、いわき漁業協同組合と日本海上保安庁から、漁船で原発に接近する許可を受けた。目的地は港から30キロほど北側にある福島第1原発沖。
取材陣を乗せた船は4.9トン、13人乗りの底引き網小型漁船「幸運丸」だ。「こう見えても最高時速57キロまで出る」という船長の吉田吉雄さん(61)の言葉のように、全速力で船が走り始めると、取材陣は強風としぶきのために立っているのも難しかった。
出港後10分ほど過ぎると、右側に広野火力発電所が見えた。日本国内の54基の原発がすべて停止したためか、ここの煙突からは白い煙がずっと上がっていた。さらに20分ほど行くと、今度は福島第2原発が現れた。
事故当時、非常電源4つのうち1つが奇跡的に機能し、第1原発のような惨事を免れた所だ。放射能数値を測定すると1時間あたり0.09マイクロシーベルト。一般人の放射能被曝許容基準値の約0.19マイクロシーベルトよりはるかに低かった。
午前10時。港を出発して1時間ほど過ぎると、福島第1原発が姿を現した。緊張感が突然高まった。取材陣は防護服と特殊マスクを着用した。真っ先に目に入ったのは白い外壁で内部の建物を覆った4号機。1533本の核燃料棒を取り出して移す作業が進行中で、各種クレーンや工事用装備を移す姿が見えた。
その右側には、3年前の3月14日午前11時1分に水素爆発が発生した3号機があった。「水素爆発ではなく核爆発だった」という分析が出るほど大規模な爆発だったのが分かるように、3号機の外壁の数カ所は崩れ落ちたままだった。1・2号機はきれいな外壁で整頓されていた。
4号機の左側の山のふもとには汚染水貯蔵タンクが見えた。放射能汚染水流出事故が絶えず続いているところだ。現在ここに設置されているタンクは約1000基。量でいうと43万トンで、オリンピック正規規格プール150個ほど満たす。
安倍晋三首相が昨年9月のオリンピック総会で、「汚染水の影響は0.3平方キロ以内に完全に遮断されている」と述べた港湾に近づいた。原発からの距離はわずか100メートル。
ピ~ピ~。取材陣が撮影のために船首に行くと、放射線測定機が警告音を出し始めた。数値は1時間あたり2マイクロシーベルト。基準値の10倍だった。状況は急変した。船が堤防に沿って回りながらテトラボッドと呼ばれる消波ブロックのそばを通過する瞬間、放射線測定機の画面が突然、真っ赤になった。ピー! ピー! 激しく警告音が鳴った。危険な状況という意味だ。恐怖が襲撃した。
<福島原発事故から3年>安倍首相が汚染水を遮断したという場所に行ったところ…(2)
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