3・1節(独立運動記念日)95周年を迎えて、東北アジアのこの1世紀の歴史を振り返ってみることにした。昨今になって韓日関係ははなはだ具合が悪くなり、中国と日本の間の領土紛争は物理的衝突の可能性まで見せている。強大国の隙間で韓国が体験した列強の角逐が再現されるのではないのかという不安の声も聞こえる。このような東北アジアの急進展した緊張局面は、2012年末の日本安倍首相の就任後、悪化し続けている。
1868年の明治維新は、アジアで唯一国家体制の西洋化と近代化に成功した模範事例だった。そんな成功の勢いに乗って日清戦争と日露戦争で中国とロシアを相次いで撃破した日本は、帝国主義時代の列強の隊列に上ることになり、1910年の朝鮮の植民地化を皮切りに中国侵攻に乗り出すことになる。天皇制を基礎にした軍国主義の国家建設に成功した日本としては、とどまることはできない歩みだったのだろう。中国の辛亥革命を導いた孫文は1924年に亡くなる前「日本は西洋覇道の手先になるのか、東洋王道の牙城になるのか」を慎重に考えてみろという言葉を残した。これはまさに1909年に死刑台に上がる前、安重根(アンジュングン)義士が東洋の平和を願って残した遺言、そして3・1独立宣言書と脈を同じにしている。
20世紀の全体主義独裁体制の共通的な特徴は、指導者を含む全国民がその体制の捕虜になったということだ。日本は軍国主義の興奮とナショナリズムのダイナミックスに包まれ、ついに真珠湾を奇襲して第2次世界大戦に突入した。しかしまさにその第2次世界大戦での敗北は、帝国主義時代の幕を下ろすと同時に他律による2回目の国家改造の機会を日本に与えた。
1945年、ドイツと共に民主化の第2の波に同乗した日本の国家改造と発展は、真に驚くほどの成功だった。特にまぶしい経済成長は、80年代に達してタイム(TIME)誌の「JAPAN No.1」という表紙が象徴する境地にまで至った。平和憲法・民主政治・高度成長の三角が支える日本は、十分に王道政治を指向する「第2の維新」に成功したと評価されて当然だった。そんな日本が、安倍氏が執権してすぐに新しい国家体制を模索するという強烈な姿勢を取ることによってその波紋は国内外を揺るがしている。何よりも明治維新で列強の隊列に上った帝国時代に対する郷愁が作用していはいないのか、覇道政治への回帰を憂慮する見方が、アジアをはじめとする国際社会に広がっている。
【コラム】3・1独立運動で振り返る王道と覇道=韓国(2)
1868年の明治維新は、アジアで唯一国家体制の西洋化と近代化に成功した模範事例だった。そんな成功の勢いに乗って日清戦争と日露戦争で中国とロシアを相次いで撃破した日本は、帝国主義時代の列強の隊列に上ることになり、1910年の朝鮮の植民地化を皮切りに中国侵攻に乗り出すことになる。天皇制を基礎にした軍国主義の国家建設に成功した日本としては、とどまることはできない歩みだったのだろう。中国の辛亥革命を導いた孫文は1924年に亡くなる前「日本は西洋覇道の手先になるのか、東洋王道の牙城になるのか」を慎重に考えてみろという言葉を残した。これはまさに1909年に死刑台に上がる前、安重根(アンジュングン)義士が東洋の平和を願って残した遺言、そして3・1独立宣言書と脈を同じにしている。
20世紀の全体主義独裁体制の共通的な特徴は、指導者を含む全国民がその体制の捕虜になったということだ。日本は軍国主義の興奮とナショナリズムのダイナミックスに包まれ、ついに真珠湾を奇襲して第2次世界大戦に突入した。しかしまさにその第2次世界大戦での敗北は、帝国主義時代の幕を下ろすと同時に他律による2回目の国家改造の機会を日本に与えた。
1945年、ドイツと共に民主化の第2の波に同乗した日本の国家改造と発展は、真に驚くほどの成功だった。特にまぶしい経済成長は、80年代に達してタイム(TIME)誌の「JAPAN No.1」という表紙が象徴する境地にまで至った。平和憲法・民主政治・高度成長の三角が支える日本は、十分に王道政治を指向する「第2の維新」に成功したと評価されて当然だった。そんな日本が、安倍氏が執権してすぐに新しい国家体制を模索するという強烈な姿勢を取ることによってその波紋は国内外を揺るがしている。何よりも明治維新で列強の隊列に上った帝国時代に対する郷愁が作用していはいないのか、覇道政治への回帰を憂慮する見方が、アジアをはじめとする国際社会に広がっている。
【コラム】3・1独立運動で振り返る王道と覇道=韓国(2)
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