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<ソチ五輪>羽生結弦、大地震で練習拠点崩壊…家を出て練習するよう背中を押した母(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
ソチ五輪フィギュアスケート男子シングルで金メダルを取った羽生結弦により日本列島が興奮に包まれた。

14日にショートプログラムで史上最高記録となる101.45点を獲得したのに続き、15日のフリープログラムでも水準を維持し日本に初めて金メダルをもたらすと、日本のメディアは「日本人として誇りを感じる」という羽生の感想を1面トップで伝えた。

安倍晋三首相も羽生の金メダルが確定するとすぐに休日の15日に首相官邸に出てきて直接お祝いの電話をかけた。安倍首相は「たくさんの日本人が羽生選手の演技を見て胸が熱くなる思いだったと思う。氷に向かって一礼するたたずまいはさすが日本男児だなと思った」と褒め称えた。


日本の英雄に浮かび上がった“羽生効果”は音楽市場ですぐに現れた。ショートプログラムでバックミュージックとして使った『パリの散歩道』は一気に各種音楽サイトで1位に上がった。この音楽は2011年に死去した北アイルランド出身ギタリスト、ゲイリー・ムーアが1978年に発表した曲だ。

羽生が実力と優れた容貌、洗練された話し方のほかに特に注目される理由は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた仙台出身であるためだ。大地震と津波が押し寄せた2011年3月11日午後2時46分。当時16歳の羽生は生まれ育った仙台市のスケート リンク「アイスリンク仙台」にいた。練習中にスケート靴を履いたままかろうじて外に逃げた。自宅も大きな被害を受けた。その後家族4人は避難所で浅い眠りで持ちこたえた。電気が切れた暗黒の中で余震と寒さと戦った。衝撃だったのは羽生の練習拠点のアイスリンク仙台が相次ぐ余震で崩壊してしまったことだ。

母親は避難所生活が10日ほど過ぎた時、静かに羽生の背中を強く押した。「そろそろ練習しないと」。

羽生は母の勧めで小学校の時から8年間自身を訓練した都築章一郎コーチの拠点である横浜に向かった。仙台を離れる時、羽生はとめどなく涙を流したという。横浜に移ってからも羽生は心の安定を取り戻せなかった。



<ソチ五輪>羽生結弦、大地震で練習拠点崩壊…家を出て練習するよう背中を押した母(2)

【特集】ソチ冬季オリンピック2014

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