イラスト=キム・ヒリョン記者
僧侶は「獄中の安義士は57点以上の遺墨を残した」とし「40年以上も関連事業をしてきた経験上、死刑囚が獄中で堂々と書画を残すことができた理由は、その方に対する周囲の人たちの尊敬心のほかに考えられない」と述べた。安義士は獄中で「独立」という揮毫も残した。1910年2月、旅順監獄の看守、説楽正雄に贈った。説楽はこれを持って日本に戻り、余生を安義士を敬慕しながら暮らし、この世を去る前に甥の説楽正純に譲った。僧侶が数年前、広島県願船寺の住職の甥を訪ね、「望む金額、または望む韓国の書芸作品と交換したい」と提案したが、断られた。「当時、安義士は叔父に『伊藤を射殺した理由はわが国の独立のためということを日本に行って広く知らせてほしい』といってこれを贈ったので、この作品は日本になければいけない」と拒否の理由を明らかにした。
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