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【コラム】日本の鎖国主義を罰せよ

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
韓国が心配しなければならない日本の慢性病が再発している。国際化の欠如、一種の鎖国主義だ。

日本人の海外勤務忌避は有名だ。きれいで安全ですべてのシステムが良く回っている日本を後にして外国で何の苦労するのかという風潮だ。ある会合では「日本では外交官まで海外勤務を忌避する」という冗談まで出た。少し後で笑い話だとしてこの話をある日本専門家にしたところ意外な答が返ってきた。「冗談ではなく事実」ということだ。彼は、「うまくやるほど外務省本部で仕事をしたがる。佐々江賢一郎駐米大使が代表的な例だ」と話す。

1974年東京大学法学部卒業後に外務省に入った彼はキャリア40年のベテラン外交官だ。それでも海外経歴は浅い。特に97年に外務省北東アジア課長になってから2012年に米国大使として発令されるまで15年間ずっと日本で仕事をした。このため海外世情に明るく外国語に堪能なはずがない。「駐米大使でありながら英語が芳しくない」と日本メディアが皮肉るほどだ。


海外忌避は会社員や公務員だけの問題でない。日本人留学生もぐっと減っている。どれほど深刻なのか米ハーバード大学のファウスト総長が乗り出して警告するほどだ。 

3年前にファウスト総長は訪日に先立ち、「ハーバードの学部生のうち日本人留学生はわずか5人。中国、韓国に比べ日本人留学生の存在感が薄い」と吐露した。2000年度にハーバード大学の学部・大学院で学んだ日本人留学生は151人だった。それが10年後には50人に減った。この期間に中国人留学生は227人から463人に2倍以上増えた。韓国人留学生も183人から314人に増加した。

日本がいつもそうだったのではない。19世紀末の明治維新当時は外国との交流がどの国より活発だった。西洋の文物を吸収するため国費留学生を送り出した。1868年から44年間続いた明治時代の海外留学生は2万4700人余り。貧弱だった国力と立ち後れた交通手段などを考慮すれば驚くべき数字に違いない。初めての国費留学生の中には1875年にハーバード大学法学部に入学し勉強した人もいた。韓日併合の主役に挙げられる小村寿太郎外相だ。

外にばかり出て行ったのではない。外国人も大挙呼び込んだ。1868年から1900年まで日本政府によってスカウトされ日本に来た英国人だけで4300人余り。このほかにフランス人1500人余り、ドイツ人・米国人それぞれ1200人余りずつが西洋の文物を日本に伝えた。

このように開放的だった日本人がいつの間に外に出る門を閉ざした。そして周辺国の感情は無視したまま米国の顔色ばかり見る。朝鮮末期、ひたすら清国にすがりついた大院君の鎖国政策を連想させる。

これまでは韓日間の外交紛争は経済にまで影響を与えない「アジアンパラドックス」が作動するようだった。そのため韓日間で政治指導者が負担なく相互誹謗に乗り出しているというのが英エコノミスト誌の分析だった。しかし月も満ちれば傾くもの。2012年の日本の対韓投資額は45億4000万ドル。それが昨年は10月までで19億6000万ドルに激減した。貿易も減った。昨年の両国間の貿易額は前年比10.4%減の920億ドルと集計された。

清の官吏黄遵憲が朝鮮の鎖国政策を心配して書いた『朝鮮策略』にこのような一節が出てくる。「地球の上には大国・小国を問わず千を数える多くの国があるが、しっかりと関門を閉じ外国人を拒絶できる国はひとつもない」と。外からの門戸を閉ざそうとする情緒は隣人はもちろん自身にも得るものがないことを日本人は早く悟らなければならない。「ガラパゴス病」を病んでいる隣国のために韓国人が『日本策略』でも書くべき時だ。

ナム・ジョンホ国際専任記者(中央SUNDAY第356号)



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