クリスマスの翌日である今日はボクシングデー(boxing day)だという。野暮な人間だからなのか、ボクシングデーという言葉を今回初めて聞いた。ところが英国や英連邦諸国ではクリスマスとつなげて連休として楽しむ最大名節の1つだそうだ。米国のブラックフライデーのように大型セールが展開されることでも知られる。ボクシングデーの起源は数百年前に上るが、商人が使用人たちにクリスマスプレゼントや食べ物を箱(ボックス)に入れたところから始まったとか、領主がクリスマスパーティーの後に農奴に服や穀物などを与えたところから由来したなどの話が伝わっている。また教会がこの日に慈善箱を開けて、不遇な人々に分けあたえてボクシングデーになったという話もある。とにかくこの日は、クリスマス後に上に立つ者が下の者や貧しい人々のために施した習慣から由来した日だ。
英国で幼少期を過ごした後輩に尋ねたところ、ボクシングデーに一番思い出に残っているのは店ごとに安売りセールをしてショッピングに行ったり、クリスマスプレゼントを25日ではなく26日にもらったりしたことも多かったそうだ。また靴下・タオル・手袋のようなプレゼントを包装して牛乳配達員などにプレゼントし、大人たち皆でサッカーの試合を見たともいう。一言でいうと、クリスマスの余興がしっかりと行われていた日だということだ。
ところが韓国のボクシングデーは、「海外直購入族が奔走する日」だそうだ。海外のオンラインショッピングモールで物を直接買い求める消費者を指す「海外直購入族」は、すでにボクシングデーの割引情報を集めて、割引が始まることを待ちながらクリック体制を整えているのだ。カード企業もいち早く、海外直購入族が海外オンラインショッピングモールで物を買えばキャッシュバックや追加ポイントを与えるなど多彩な特典を出してマーケティングを行った。
この頃、海外直購入族の活躍はめざましい。韓国銀行の国民所得統計(暫定)だけを見ても、今年7-9月期までの国内消費は2.6%増加した一方、国外消費は4.3%も増加した。また7-9月期の国外消費支出は6兆5000億ウォンに肉迫して史上最大値を記録したが、これは海外観光と共に海外直購入族の支出増加が一役を担ったとのことだ。これに対して韓国の流通業界も突然、ボクシングデーマーケティングに突入した。分かち合いのクリスマスはかすんでしまい、ショッピングのボクシングデーが新たに台頭し始めた。
「興味深い」のは、韓国にはバレンタインデーやボクシングデーなど外国の記念日が入ってくると全て本質が分からなくなる「商業イベント」に変わってしまうということだ。もちろん「ミカンが川を渡ればカラタチの実になる(橘化為枳)」という言葉のように植物も環境が変われば本質は変わるのに、ましてや風習などどうして本質そのまま受け入れることが期待できようか。それでも残念なのは、海を渡ってきたミカンがさらに甘く改善されたら良いのに、なぜ全てそのしぶいカラタチの実だけに変わるのかということだ。
ヤン・ソンヒ論説委員
英国で幼少期を過ごした後輩に尋ねたところ、ボクシングデーに一番思い出に残っているのは店ごとに安売りセールをしてショッピングに行ったり、クリスマスプレゼントを25日ではなく26日にもらったりしたことも多かったそうだ。また靴下・タオル・手袋のようなプレゼントを包装して牛乳配達員などにプレゼントし、大人たち皆でサッカーの試合を見たともいう。一言でいうと、クリスマスの余興がしっかりと行われていた日だということだ。
ところが韓国のボクシングデーは、「海外直購入族が奔走する日」だそうだ。海外のオンラインショッピングモールで物を直接買い求める消費者を指す「海外直購入族」は、すでにボクシングデーの割引情報を集めて、割引が始まることを待ちながらクリック体制を整えているのだ。カード企業もいち早く、海外直購入族が海外オンラインショッピングモールで物を買えばキャッシュバックや追加ポイントを与えるなど多彩な特典を出してマーケティングを行った。
この頃、海外直購入族の活躍はめざましい。韓国銀行の国民所得統計(暫定)だけを見ても、今年7-9月期までの国内消費は2.6%増加した一方、国外消費は4.3%も増加した。また7-9月期の国外消費支出は6兆5000億ウォンに肉迫して史上最大値を記録したが、これは海外観光と共に海外直購入族の支出増加が一役を担ったとのことだ。これに対して韓国の流通業界も突然、ボクシングデーマーケティングに突入した。分かち合いのクリスマスはかすんでしまい、ショッピングのボクシングデーが新たに台頭し始めた。
「興味深い」のは、韓国にはバレンタインデーやボクシングデーなど外国の記念日が入ってくると全て本質が分からなくなる「商業イベント」に変わってしまうということだ。もちろん「ミカンが川を渡ればカラタチの実になる(橘化為枳)」という言葉のように植物も環境が変われば本質は変わるのに、ましてや風習などどうして本質そのまま受け入れることが期待できようか。それでも残念なのは、海を渡ってきたミカンがさらに甘く改善されたら良いのに、なぜ全てそのしぶいカラタチの実だけに変わるのかということだ。
ヤン・ソンヒ論説委員
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