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張成沢の転落と共に戻ってきた呉克烈(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
呉克烈(オ・グンニョル)が戻ってきた。一時「左の成沢、右の克烈」と呼ばれた平壌(ピョンヤン)権力の実力者であった。彼が張成沢(チャン・ソンテク)の粛清と共に相次いで姿を見せている。2010年9月、金正恩(キム・ジョンウン)が後継者に指名された後、冷や飯の境遇に立たされた呉克烈(83、国防委副委員長)が、公開の席で比重の高い位置に登場したのは先月14日、平壌で開かれた「全国科学者・技術者大会」だった。金正恩第1書記が参加した席で、彼は朴奉珠(パク・ボンジュ)首相や崔泰福(チェ・テボク)労働党秘書に続き序列第3位に上がった。この日軍部からは唯一、呉克烈だけが参加した。軍関連の行事でもない場所に異例に軍を代表する形で現れて存在感を誇示したのだ。

しかし当時は「張成沢」に焦点が合わされていて彼の再浮上はそれほど注目を浴びていなかった。だが今月に入っても呉克烈の公開活動は続いた。彼はキム・グクテ国家検閲委員長の死去の際の葬儀委員に名前を上げた。韓国当局は彼が葬式にも参加したと把握している。17日に開かれた金正日(キム・ジョンイル)2周忌追悼行事にもほかの軍実力者らと共に参加した。

彼の登場は時期的に微妙だ。反党・分派と国家転覆陰謀容疑で電撃処刑された張成沢がちょうど転落する時点だからだ。南在俊(ナム・ジェジュン)国家情報院長は23日の国会情報委報告で「張成沢は11月中旬に拘禁された」と明らかにした。情報当局も、張成沢の金正恩公開活動の随行回数が大きく減った中での呉克烈の登場に神経を尖らせている。


旧ソ連のフルンゼ軍事大学出身である呉克烈は、中将だった37歳に空軍司令官になるほど軍部で成功した人物だ。1979年には軍総参謀長(合同参謀本部議長格)に上がった。彼が出世街道をひた走ったのは強固な家柄が大きな役割を果たしていた。父のオ・ジュンソンは日帝時代に金日成(キム・イルソン)のパルチザン部隊員であり、父の従兄は戦闘中に金日成を死から救ったというオ・チュンフプだと知られている。いわゆる革命2世ということだ。

統一部当局者は「金正恩が再びパルチザン元老勢力を浮上させた状況で、呉克烈の行動に注目する必要がある」と話した。

呉克烈は、金正日が後継者として席を固めた88年2月に総参謀長を解任されて下り坂を歩んでいった。軍内部の労働党組織改編問題をめぐって呉振宇(オ・ジンウ)人民武力部長と衝突して敗れた。



張成沢の転落と共に戻ってきた呉克烈

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