取材の結果、崇礼門復元工事の問題は▼黙殺された職人の専門性と失われた職人意識▼無理な工期▼過度な広報--などが複合的に重なって生じたといえる。「国宝1号」崇礼門が「欠陥1号」建築物になった背景についての深層企画記事を3回にわけて掲載する。崇礼門火災から復元、欠陥工事という批判が起きるまで1911日間の備忘録だ。
「剥落現象を防ぐためには、にかわと合成樹脂接着剤(アクリルエマルジョン)を混ぜて使用しなければいけない」。2009年11月30日、色彩担当のホン・チャンウォンさんはこうした内容の提案書を文化財庁に提出した。ホンさんは10日後の12月10日、崇礼門の色彩の責任者に選ばれた。しかしこの意見は採択されなかった。崇礼門の色は竣工5カ月目で剥がれ、欠陥工事という批判が続いた。
南大門欠陥復元1911日の備忘録<上>職人は無力だった(2)
「剥落現象を防ぐためには、にかわと合成樹脂接着剤(アクリルエマルジョン)を混ぜて使用しなければいけない」。2009年11月30日、色彩担当のホン・チャンウォンさんはこうした内容の提案書を文化財庁に提出した。ホンさんは10日後の12月10日、崇礼門の色彩の責任者に選ばれた。しかしこの意見は採択されなかった。崇礼門の色は竣工5カ月目で剥がれ、欠陥工事という批判が続いた。
南大門欠陥復元1911日の備忘録<上>職人は無力だった(2)
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