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国ごとに異なる米国大使、韓日中3カ国に三者三様(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
大使をよく「外交の花」と呼ぶ。大使を任命する時は固有の任務だけでなく相手国に対する礼遇も込められている。そうした点から韓国、日本、中国を相手にした米国の大使外交は明確に異なる。駐韓米国大使の場合は徹底して職業外交官を好む。これに対し駐日米国大使はほとんどが大物政治家や名望家を任命する。修交の歴史が長くない中国の場合、初期には中国との縁を考慮したが最近は大物級に旋回する傾向だ。

米国務省関係者は、「駐日大使のポストは英国、フランスとともに羨望の対象に挙げられるのが事実」と話した。「駐韓大使のポストはまだ中間レベルに分類されている」というのが彼の説明だ。在米韓国人らは「いまや韓国も経済力や国力に見合った重みのある人物を大使に迎えなければならない」と主張している。

◇職業外交官たちの役割=1948年の韓国政府樹立から駐韓大使には22人が任命された。このうち86.3%の19人が職業外交官出身だ。学者出身のリチャード・ウォーカー(81~86年勤務)、米中央情報局(CIA)韓国支部長を務めたドナルド・グレッグ(89~93年勤務)、神学を勉強したジェームズ・レイニー(93~96年勤務)の3人だけが例外だ。


初代大使だったジョン・ムチオはトルーマン大統領の特別代表という肩書でソウルに到着し李承晩(イ・スンマン)大統領から歓待を受けた。信任状制定式の時に李大統領は当時の申翼熙(シン・イクヒ)国会議長、金炳魯(キム・ビョンロ)大法院長と閣僚全員を出席させた。

権威主義政権時代の駐韓大使は韓国の大統領を監視したり牽制する役割をした。87年6月の民主抗争を経験したジェームズ・リリー(86~89年勤務)が代表的だ。彼は当時レーガン大統領の親書を持って全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領を訪ね、「戒厳を宣言すれば韓米同盟を毀損するリスクを甘受しなければならないだろう」との脅し文句で戒厳令を白紙化させた。リリーは韓国勤務を終えた後すぐ中国大使に任命された。フィリップ・ハビブ(71~74年勤務)も73年の金大中(キム・デジュン)拉致事件当時、本国と緊密に連絡し救出に助力した。レバノン生まれのハビブは米大使公邸を「その国の様式で作らなければならない」として韓屋スタイルを主張して貫徹させた。米大使公邸がハビブハウスと呼ばれる理由だ。ソン・キム(2011~現在)は初の韓国人出身だ。



国ごとに異なる米国大使、韓日中3カ国に三者三様(2)

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