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【コラム】“豆腐強国”韓国、今は韓日中で最も沈んでいる

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
最近、日本に行って来た。外国旅行に出ると必ず立ち寄る所がある。市場とスーパーマーケットだ。これらはその土地の暮らしを最も如実に表している所でもあるが、ただ楽しさからその場を訪れる場合もある。

外国の中でも、とくに日本は韓国と非常に特別な関係であることを振り返らせてくれる国だ。私たちが日常で口にする食べ物の大半が、日本とつながっていることを確認せざるを得ない。まるで自分たちの食べ物であるかのように感じられるが、その源は日本であることを知ることにもなる。暑い夏の人気者“カキ氷”やかまぼこ串を見て、私たちの食べ物にまつわる思い出の多くがここから出発した事実にしばし悲しさを禁じえない。

私は豆腐が大好きだ。豆腐そのものにも味はあるが、他の料理とも簡単になじむ豊かな特性が好きだ。豆腐を入れたチゲはどんなものであれ、その本来の味を損なわないままさらに味わい深くなる。豆腐が入ったキムチチゲとテンジャン(味噌)チゲは、もともとは豆腐がメインではないものの、メインに劣らない素晴らしい調和を見せてくれる。最近の言葉でいえば、「こんな幻想的なマリアージュは他にあるだろうか」。豆腐はそのまま焼いてもおいしいが、なめらかに絞って飲む“ダイエット用妙策”としてもいい。


ところで日本の市場で見る豆腐の元祖は朝鮮と中国からの影響が大きいという。私たちは古くから豆腐強国だった。多彩な豆腐料理があった。肉を禁じた高麗時代は豆腐が発達するだけの土壌があったと思われる。朝鮮時代にも「造泡寺」といって豆腐を作る寺を特に厳しく管理した。宮廷祭祀に使う豆腐を供給するという意味あいだったが、実は上流層の両班たちが豆腐をよく食べていたからではないだろうか。

私たちにはこのような豊かな豆腐文化があった。今は東洋三国のうち、韓国の豆腐文化が最も沈滞しているようだ。味噌に漬けた豆腐、乾かした豆腐、揚げた豆腐、柔かい豆腐などなど…。華やかな豆腐料理のほとんどは日本と中国の分け前だ。私たちはただチゲ豆腐か焼き豆腐くらいのものだ。

その上、ほとんどの生産者も一握りの大企業に吸収されていっている。豆腐は多様な地域生産者が多くいなければならない食材のひとつだ。純白で淡白な味だが、誰がどのように作ったかによって味の差が明らかになる食材だ。あっさりしているだけに、むしろ優劣をつけやすい。

ところで、この豆腐と言う存在について日本のある作家が素晴らしい一言を述べている。村上春樹氏だ。彼は最もおいしい豆腐は「今日作った豆腐」と宣言した。豆腐の材料や生産者より、その日作って食べる豆腐が一番おいしいという持論を展開したのだ。このため豆腐は地域の小規模生産者はいっそう輝ける対象だ。

かつて(今も一部残っているが)、豆腐屋が鐘を鳴らし町内を歩き回りながら売っていた豆腐がまさしくそれだった。

小説家の朴婉緒(パク・ワンソ)氏の随筆の中にある『豆腐』は、監獄から出た人々がなぜ豆腐を食べるのか切り込んでいる。豆から解き放たれた存在が豆腐なので、豆腐を食べるのは豆ご飯を食べるその場所(監獄)に二度と行かないようにしてほしいというおまじないだと…。これにあえて補足するなら、豆腐を食べる事はある意味では我が身と心を洗うことのように感じられる。豆腐が白くて淡白な理由がまさにそれなのかもしれない。今晩、あたたかい豆腐チゲが食べたい。



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