韓国裁判所の強制徴用賠償判決で韓日間の葛藤が深まり、財団設立を通じたドイツ式解決法に関心が集まっている。過去のドイツの状況がさまざまな面で現在の日本と似ているからだ。
ドイツ政府は第2次世界大戦当時、ベラルーシ・エストニア・ポーランドなど隣国から840万人を連れてきて強制労働をさせた。450万人の戦争捕虜も屈辱的な扱いを受けた。1939年から第2次大戦終戦まで強制動員された被害者は、主にドイツの軍需工場と民間企業で働かされ、搾取された。
戦争が終わると、被害者に対する賠償問題が提起されたのは当然の手続きだった。ドイツも戦後、戦勝国とイスラエル・ポーランドなどの被害国に賠償金を支払った。このため「賠償に関する法的問題はすでに終わった」という立場を維持した。
日本と違うのは、ナチ治下企業の強制動員に対する個人賠償権が一部認められてきたという点だ。このため当時強制労働に苦しんだ外国労働者が部分賠償を受けたりもした。しかし十分な賠償を受けられなかった外国人被害者は執拗に対策を要求した。
結局、2002年に執権した社民・緑の党連立政権が保守政党と協議し、具体的な対策を準備した。そこで出てきたのが2000年8月、与野党全員一致で決議された「記憶、責任、そして未来財団(Remembrance, Responsibility and Future Foundation)」の設置だった。
強制動員被害者に対する賠償問題を解決するために発足したこの財団に、約6500社の企業とドイツ政府がそれぞれ26億ユーロずつ計52億ユーロ(約7兆42000億ウォン)を出捐した。自発的に資金を出した企業の中には、第2次世界大戦当時に存在していなかったところも多かったという。財団の運営は各国から選んだ27人の理事に任せた。
財団は2001年から2007年まで計166万人の被害者に対する賠償を終えた。個人賠償金は被害の程度によって異なった。強制収用所の収監者には最高7670ユーロ(1095万ウォン)、他のところで労働をした被害者には2560ユーロ(365万ウォン)まで支払われた。農場で強制労働をした場合は最高額が2500ユーロ(357万ウォン)だった。このように賠償金に使われた金額は44億ユーロ(約6兆2800億ウォン)だった。
目を引くのは、賠償の過程で被害を受けた国別に別の機構が設置されたという点だ。例えばポーランドには「ポーランド-ドイツ和解財団」が、チェコには「ドイツ-チェコ未来基金」がそれぞれ設置された。この賠償金の受恵者は100カ国にのぼる。このうちポーランド人が最も多い約48万人、次いでウクライナ(約47万人)、ロシア(約25万人)、ベラルーシ(約12万人)の順だった。
これとともに各国に散らばっている約15万人のユダヤ人には別のチャネルを通じて11億4900万ユーロ(約1兆6400億ウォン)を支払った。
2007年に賠償作業が終わると、当時のケーラー独大統領は「過去の過ちは犯罪行為であり、これに対する責任は可視的な経済的補償でなければならないという認識を持たせるのに大きな役割をした」と宣言した。
しかし強制動員されたドイツ人に対する賠償はなかった。52億ユーロの残りの基金の一部の3億58000万ユーロは別の財団に委託され、運用されている。強制徴用被害者に対する賠償は終わったが、毎年この基金から生じる800万ユーロは歴史研究、人権伸張、ナチ被害者補償の3分野に使われる。また、強制労働関連資料の世界巡回展示、ナチ被害者との出会いの場、被害家庭の子どもに対する学資金支援のようなプロジェクトが進行している。これらはすべてナチの蛮行を告発し、恥ずかしい歴史が繰り返さないようにするためだ。
ドイツは遅れはしたが、強制徴用に対する補償を終えることで、正常国家への道を歩むことになったという評価を受けている。右傾化の道を歩んでいる日本の政治家が学ばなければならない部分だ。(中央SUNDAY第348号)
ドイツ政府は第2次世界大戦当時、ベラルーシ・エストニア・ポーランドなど隣国から840万人を連れてきて強制労働をさせた。450万人の戦争捕虜も屈辱的な扱いを受けた。1939年から第2次大戦終戦まで強制動員された被害者は、主にドイツの軍需工場と民間企業で働かされ、搾取された。
戦争が終わると、被害者に対する賠償問題が提起されたのは当然の手続きだった。ドイツも戦後、戦勝国とイスラエル・ポーランドなどの被害国に賠償金を支払った。このため「賠償に関する法的問題はすでに終わった」という立場を維持した。
日本と違うのは、ナチ治下企業の強制動員に対する個人賠償権が一部認められてきたという点だ。このため当時強制労働に苦しんだ外国労働者が部分賠償を受けたりもした。しかし十分な賠償を受けられなかった外国人被害者は執拗に対策を要求した。
結局、2002年に執権した社民・緑の党連立政権が保守政党と協議し、具体的な対策を準備した。そこで出てきたのが2000年8月、与野党全員一致で決議された「記憶、責任、そして未来財団(Remembrance, Responsibility and Future Foundation)」の設置だった。
強制動員被害者に対する賠償問題を解決するために発足したこの財団に、約6500社の企業とドイツ政府がそれぞれ26億ユーロずつ計52億ユーロ(約7兆42000億ウォン)を出捐した。自発的に資金を出した企業の中には、第2次世界大戦当時に存在していなかったところも多かったという。財団の運営は各国から選んだ27人の理事に任せた。
財団は2001年から2007年まで計166万人の被害者に対する賠償を終えた。個人賠償金は被害の程度によって異なった。強制収用所の収監者には最高7670ユーロ(1095万ウォン)、他のところで労働をした被害者には2560ユーロ(365万ウォン)まで支払われた。農場で強制労働をした場合は最高額が2500ユーロ(357万ウォン)だった。このように賠償金に使われた金額は44億ユーロ(約6兆2800億ウォン)だった。
目を引くのは、賠償の過程で被害を受けた国別に別の機構が設置されたという点だ。例えばポーランドには「ポーランド-ドイツ和解財団」が、チェコには「ドイツ-チェコ未来基金」がそれぞれ設置された。この賠償金の受恵者は100カ国にのぼる。このうちポーランド人が最も多い約48万人、次いでウクライナ(約47万人)、ロシア(約25万人)、ベラルーシ(約12万人)の順だった。
これとともに各国に散らばっている約15万人のユダヤ人には別のチャネルを通じて11億4900万ユーロ(約1兆6400億ウォン)を支払った。
2007年に賠償作業が終わると、当時のケーラー独大統領は「過去の過ちは犯罪行為であり、これに対する責任は可視的な経済的補償でなければならないという認識を持たせるのに大きな役割をした」と宣言した。
しかし強制動員されたドイツ人に対する賠償はなかった。52億ユーロの残りの基金の一部の3億58000万ユーロは別の財団に委託され、運用されている。強制徴用被害者に対する賠償は終わったが、毎年この基金から生じる800万ユーロは歴史研究、人権伸張、ナチ被害者補償の3分野に使われる。また、強制労働関連資料の世界巡回展示、ナチ被害者との出会いの場、被害家庭の子どもに対する学資金支援のようなプロジェクトが進行している。これらはすべてナチの蛮行を告発し、恥ずかしい歴史が繰り返さないようにするためだ。
ドイツは遅れはしたが、強制徴用に対する補償を終えることで、正常国家への道を歩むことになったという評価を受けている。右傾化の道を歩んでいる日本の政治家が学ばなければならない部分だ。(中央SUNDAY第348号)
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