2005年の寄生虫騒動にさかのぼってみよう。当時、中国産のキムチから鉛や寄生虫の卵が検出されたという発表が出てくるやいなや、一波万波で全国が揺らいだ。国内産ハクサイにまで火の粉が飛び散ると国民は不安になり、食堂ではキムチを最初から出すこともなかった。全国で対策準備と原因究明に苦心したが、究極的な解決法を見出すことはできなかった。鉛と寄生虫の卵が入り混じった中国産キムチを誕生させた主犯が、安物の単価に合わせろと勧める輸入業者と韓国内の消費企業などであったことを否定できなかった。
今考えてみれば、私たち皆の無関心と責任に帰結される問題だったかもしれない。原価を低くすることにだけ関心を傾ける食堂も問題であり、ハクサイの価格が少し上がろうとすると庶民経済が揺らぐとあおる一部メディアも一役買った。国民食生活に必須の絶対需要品目であることを考慮する時、一方では理解もするが、逆説的にはあまりにもありふれていて安いために大切なものだという認識ができないという考えになる。
今考えてみれば、私たち皆の無関心と責任に帰結される問題だったかもしれない。原価を低くすることにだけ関心を傾ける食堂も問題であり、ハクサイの価格が少し上がろうとすると庶民経済が揺らぐとあおる一部メディアも一役買った。国民食生活に必須の絶対需要品目であることを考慮する時、一方では理解もするが、逆説的にはあまりにもありふれていて安いために大切なものだという認識ができないという考えになる。
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