エマニュエル・パストリッチ教授(慶煕大)の『韓国人だけが知らない別の大韓民国』という本を読んだ。「ハーバード大博士が見た韓国の可能性」という副題がついている。表紙を飾った彼の顔の上に「アジアに登場するもう一つの一等国は韓国だ」という刺激的な言葉が目を引く。
パストリッチ教授の韓国名はイ・マンヨルだ。韓国人の夫人の姓から付けた名前という。先日、偶然の機会に会って話をしてみると、実名より韓国名がよく似合うと感じられた。「最近は時々、英語の単語を思い出せず困る」と韓国語で冗談を言うほどだ。彼は韓日中3カ国の古典文学と歴史を深く研究し、博士学位を取得した。韓国の歴史と文化に対する見識が彼に比べて不足していることを恥じると、「その必要は全くない。私はそれを専攻した」と、むしろ私をかばった。
パストリッチ教授は、韓国は人口2000万人を超える国のうち、植民地を経営した経験なく先進国になった世界最初の例だと指摘する。韓国戦争が休戦に入った1953年当時、ソマリアと似たレベルの経済力だった韓国が、わずか2世代で先進国入りした根本的な背景は何だろうか。その答えは韓国の過去にあるというのが、彼の主張だ。数千年間続いた知的・文化的伝統があったため、こうした奇跡が可能になったということだ。
それでも韓国人が“クジラ(日本・中国)に挟まれたエビ(韓国)”コンプレックスを抱え、過去を否定して克服の対象と考える現実があまりにも残念だと話す。韓国が一等国になるカギは自分たちの過去にあるにもかかわらず、なぜその“宝”に背を向けるのか分からないということだ。韓国の文化と伝統の価値をきちんと知らせ、正当な評価を受けることができれば、韓国は「コリアディスカウント」から抜け出すだけでなく「コリアプレミアム」を享受できると、彼は確信している。
うなずけるかもしれないが、100%同意できないのはなぜだろうか。肯定より否定、楽観より悲観に慣れた根性や自虐的な植民史観の残滓のためだけではないだろう。彼の論理なら、「文化決定論」の罠に陥り、人種主義と民族主義に向かう危険がある。文化は優劣の問題ではなく、差と多様性の問題だ。韓国の文化が貴重で価値があるように、ソマリアの文化も同じことがいえる。各自の固有の文化的アイデンティティーを生かし、成長と発展の元肥とするのは誰もがするべきことだ。
【コラム】韓国、もう一つのナンバーワン国?(2)
パストリッチ教授の韓国名はイ・マンヨルだ。韓国人の夫人の姓から付けた名前という。先日、偶然の機会に会って話をしてみると、実名より韓国名がよく似合うと感じられた。「最近は時々、英語の単語を思い出せず困る」と韓国語で冗談を言うほどだ。彼は韓日中3カ国の古典文学と歴史を深く研究し、博士学位を取得した。韓国の歴史と文化に対する見識が彼に比べて不足していることを恥じると、「その必要は全くない。私はそれを専攻した」と、むしろ私をかばった。
パストリッチ教授は、韓国は人口2000万人を超える国のうち、植民地を経営した経験なく先進国になった世界最初の例だと指摘する。韓国戦争が休戦に入った1953年当時、ソマリアと似たレベルの経済力だった韓国が、わずか2世代で先進国入りした根本的な背景は何だろうか。その答えは韓国の過去にあるというのが、彼の主張だ。数千年間続いた知的・文化的伝統があったため、こうした奇跡が可能になったということだ。
それでも韓国人が“クジラ(日本・中国)に挟まれたエビ(韓国)”コンプレックスを抱え、過去を否定して克服の対象と考える現実があまりにも残念だと話す。韓国が一等国になるカギは自分たちの過去にあるにもかかわらず、なぜその“宝”に背を向けるのか分からないということだ。韓国の文化と伝統の価値をきちんと知らせ、正当な評価を受けることができれば、韓国は「コリアディスカウント」から抜け出すだけでなく「コリアプレミアム」を享受できると、彼は確信している。
うなずけるかもしれないが、100%同意できないのはなぜだろうか。肯定より否定、楽観より悲観に慣れた根性や自虐的な植民史観の残滓のためだけではないだろう。彼の論理なら、「文化決定論」の罠に陥り、人種主義と民族主義に向かう危険がある。文化は優劣の問題ではなく、差と多様性の問題だ。韓国の文化が貴重で価値があるように、ソマリアの文化も同じことがいえる。各自の固有の文化的アイデンティティーを生かし、成長と発展の元肥とするのは誰もがするべきことだ。
【コラム】韓国、もう一つのナンバーワン国?(2)
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