彼は「(日本の植民地時期に)臨時政府で活動した李承晩(イ・スンマン)大統領は、ドゴールがそうしたように日本に和解しようと言っていたら良かったはずだが、53年に日本を訪問した李大統領は日本を嫌っていたし当時会った吉田茂首相は植民地支配に対する反省がなく、和解のための修交交渉を実現することができなかった」と述べて残念な思いを表した。
彼は引き続き「村山富市や河野洋平のような日本の良心的な政治家たちが主導して、国家賠償ではなかったが慰安婦被害者女性のために日本がアジア女性基金をつくったが、韓国はそれも受け入れることができなかった」として「韓日基本条約(65年)で終結した賠償問題を今になって韓国の裁判所がたびたびひっくり返すような判決をしており、日本の人々は韓国政治と裁判所が変だと思っている」と日本の雰囲気を伝えた。
「韓日、経済・安保から関係正常化を」(1)
彼は引き続き「村山富市や河野洋平のような日本の良心的な政治家たちが主導して、国家賠償ではなかったが慰安婦被害者女性のために日本がアジア女性基金をつくったが、韓国はそれも受け入れることができなかった」として「韓日基本条約(65年)で終結した賠償問題を今になって韓国の裁判所がたびたびひっくり返すような判決をしており、日本の人々は韓国政治と裁判所が変だと思っている」と日本の雰囲気を伝えた。
「韓日、経済・安保から関係正常化を」(1)
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