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【噴水台】残酷ストーリーが乱舞する韓国の秋夕

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「顔を見たこともないあなたの先祖/供え物まで私がするのか/私が育つ間、あなたの家から/してもらったことは何もない/嫁なのか家政婦なのか/これをするために嫁いだのか…」。

秋夕(チュソク、中秋)前に後輩が送ってきた「嫁の愚痴」という詩だ。作者未詳だが、秋夕や旧正月になると若い嫁の間でかなり共感を得る詩だという。そして秋夕連休中には、ある若い嫁の1枚の写真がSNSとインターネットを騒がせた。祭壇の前できれいに韓服を着て中指を立てている若い女性の写真。この姿に「あきれる」「怒りを感じる」という反応が大半だったが、合成写真のようだと弁護する反応、「気持ちが清々する」と擁護する反応もあった。

私の場合、この詩と写真を見た瞬間、眉をひそめ、自ずとため息が漏れた。人は立場によって観点も変わるため、成年になった子どもがいると、嫁よりも姑の立場にさらに感情移入されるからだ。しかし私の感情がどうれであれ、こうした秋夕・旧正月の「残酷ストーリー」は現実の状況だ。すでに秋夕という言葉は楽しみ・豊かさ・家族愛などの言葉ではなく、秋夕症候群・ストレス・うつ病・離婚などの言葉と交わり始めた。実際、統計でも過去5年間、秋夕・旧正月直後の離婚件数は直前の月より12%増えているという。市場は祭祀用の商品ほど、秋夕症候群を狙った商品マーケティングに熱を上げる。秋夕や旧正月を一度祝えば、そのストレスの解消にもお金を使わなければならない状況となった。


なぜ、これほどまでになったのだろうか。おそらく家族が変わったからだろう。この時代の家族は家父長制が崩れ、嫁ぎ先の優位は薄れ、夫婦は平等を目指す。女性は夫婦中心の核家族問題に干渉する婚家の家族を軽べつする。このように家族関係と概念は時代の変化によって変わっているが、秋夕・旧正月になるとその変化に逆行しようという試みが生じる。普段は忘れていた先祖崇拝と親孝行・友愛のコスプレが強要され、家父長的な復古主義が台頭し、家族間の緊張感を高めるため、秋夕が「残酷な日」になったのかもしれないということだ。

それでも孝悌仁之本与(=親孝行と友愛は人の基本)、孝が人間本然の心象といった孔子の言葉が時効になったとは思わない。ただ、孝悌が現代の家族に合う方式を探すことができず、道に迷ったものと考える。過去の女性と下の人たちの従順と犠牲からなる孝悌の方式は、昨今の時代精神に反し、抵抗にぶつかったということだ。今はもう、従来の家族関係に対する概念を解体し、新しい家族愛の方式を確立する必要がありそうだ。家族とは固まったものではなく、それぞれ独立的で平等な人格体の連帯のようなものという…。

ヤン・ソンヒ論説委員



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