表現の自由か、政治的な扇動か。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領を美化し、朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領を蔑む演劇が公演されている。政治的に敏感な演劇を作ったのが一般の民間劇団ではなく国立劇団という点で論争を呼んでいる。
問題の作品は『ケグリ(カエル)』(パク・グンヒョン脚色・演出、15日までソウル西界洞ペク・ソンヒ-チャン・ミンホ劇場劇場)。国立劇団が企画した『ギリシャ喜劇3部作』の最初、ギリシャの代表作家アリストファネスが原作者だ。演出家パク・グンヒョン氏(50)は原作の骨格を維持しただけで、事実上、作品を新しく作った。
背景を2013年の大韓民国に変え、危機に直面した国のために神父と少年僧が“その方”を探して冥土にいく過程を描いた。ここで“その方”というのは盧武鉉元大統領だ。『ケグリ』で命をかけて冥土に到着した神父と少年僧は“その方”に現世に一緒に来てほしいと頼む。しかし“その方”は「すべて運命だ。私はすでにここでの生活が5年目だ」と言って断る。
この時、“風雲”という男が登場し、自分が俗世に行きたいという。サングラスをかけて話す。「こいつら、前ではおどおどしたふりをしながら、裏では原稿姫などという。私が知る統治の美学を娘に伝授したい、ただそれだけだ」。明らかに朴正熙大統領だ。
その後は“その方”と“風雲”の論争の構図となる。事実上、盧武鉉と朴正熙に代弁される韓国現代史をめぐる左右理念対決だ。「分裂と怨恨を植え付けておきながら二分法で裁断した」など盧武鉉に対する批判も時々あるが、ほとんどは朴正熙に対する攻撃だ。恐怖政治、洗脳、特恵と富の相続などを皮肉っている。目を引くのは親日行跡の部分だ。「もう忘れたのか、倭人の手先になりたくて自ら血書を書いたことを、満州原野でのその恥辱的な活動を」。
盧武鉉を演じる俳優は背が高くて優しそうな男だ。繊細で温かく描写されている。一方、朴正熙はひげを生やした俳優が演じる。威圧的で性格が荒い。すぐに暴言を吐く。
大統領選挙の非公正性を暗示する部分も出てくる。「私の娘は昨年、期末試験を受けたが、そこでカンニングをした、点数を操作したなどと攻撃する。だから再試験をしよう、退学させようと。本当に、昔ならそのままタンクでさっと!」
演出家パク・グンヒョン氏は『青春礼賛』『キョンスク、キョンスク父さん 』などヒットさせた大学路(テハンノ)の中堅で、現実をストレートに表現し、評壇と大衆の注目を受けている。パク氏は「原作では衒学的な文芸批評が多く、難解だった。それを韓国の観客が親しめるよう政治的対決に置き換えた」と述べた。「一方を肩入れし過ぎたのでは」という質問に対しては「盧武鉉大統領の過ちは特に思い浮かばなかった。ある程度、政治的な偏向性を帯びたのは間違いない」とし「現在権力を持っている側を辛らつに風刺するのが芸術ではないのか」と答えた。
国立劇団の孫振策(ソン・ジンチェク)芸術監督は「隠喩や風刺より過度に直説話法が多いのがやや残念だが、このような演劇を現在の状況で国立劇団が作れるというのは、それだけ韓国社会が健康だという傍証」と述べた。
◆演劇『ケグリ』の主なセリフ
風雲(朴正熙を象徴)=こいつら、前ではおどおどしたふりをしながら、裏では原稿姫などと言う。最側近のスタッフが外国に行ってパンツを脱いで暴れるほどに…。
その方(盧武鉉を象徴)=あなたは血で始まって血で終わった人生だ。もう忘れたのか、倭人の手先になりたくて自ら血書を書いたことを。満州の原野でのその恥辱的な活動を。
風雲(朴正熙を象徴)=娘は昨年、試験を受けたが、カンニングをした、点数を操作したなどと攻撃する。学生時代にカンニングペーパーを作らなかった人など、どこにいるのか。それで再試験をしよう、退学させようなどと…」。
問題の作品は『ケグリ(カエル)』(パク・グンヒョン脚色・演出、15日までソウル西界洞ペク・ソンヒ-チャン・ミンホ劇場劇場)。国立劇団が企画した『ギリシャ喜劇3部作』の最初、ギリシャの代表作家アリストファネスが原作者だ。演出家パク・グンヒョン氏(50)は原作の骨格を維持しただけで、事実上、作品を新しく作った。
背景を2013年の大韓民国に変え、危機に直面した国のために神父と少年僧が“その方”を探して冥土にいく過程を描いた。ここで“その方”というのは盧武鉉元大統領だ。『ケグリ』で命をかけて冥土に到着した神父と少年僧は“その方”に現世に一緒に来てほしいと頼む。しかし“その方”は「すべて運命だ。私はすでにここでの生活が5年目だ」と言って断る。
この時、“風雲”という男が登場し、自分が俗世に行きたいという。サングラスをかけて話す。「こいつら、前ではおどおどしたふりをしながら、裏では原稿姫などという。私が知る統治の美学を娘に伝授したい、ただそれだけだ」。明らかに朴正熙大統領だ。
その後は“その方”と“風雲”の論争の構図となる。事実上、盧武鉉と朴正熙に代弁される韓国現代史をめぐる左右理念対決だ。「分裂と怨恨を植え付けておきながら二分法で裁断した」など盧武鉉に対する批判も時々あるが、ほとんどは朴正熙に対する攻撃だ。恐怖政治、洗脳、特恵と富の相続などを皮肉っている。目を引くのは親日行跡の部分だ。「もう忘れたのか、倭人の手先になりたくて自ら血書を書いたことを、満州原野でのその恥辱的な活動を」。
盧武鉉を演じる俳優は背が高くて優しそうな男だ。繊細で温かく描写されている。一方、朴正熙はひげを生やした俳優が演じる。威圧的で性格が荒い。すぐに暴言を吐く。
大統領選挙の非公正性を暗示する部分も出てくる。「私の娘は昨年、期末試験を受けたが、そこでカンニングをした、点数を操作したなどと攻撃する。だから再試験をしよう、退学させようと。本当に、昔ならそのままタンクでさっと!」
演出家パク・グンヒョン氏は『青春礼賛』『キョンスク、キョンスク父さん 』などヒットさせた大学路(テハンノ)の中堅で、現実をストレートに表現し、評壇と大衆の注目を受けている。パク氏は「原作では衒学的な文芸批評が多く、難解だった。それを韓国の観客が親しめるよう政治的対決に置き換えた」と述べた。「一方を肩入れし過ぎたのでは」という質問に対しては「盧武鉉大統領の過ちは特に思い浮かばなかった。ある程度、政治的な偏向性を帯びたのは間違いない」とし「現在権力を持っている側を辛らつに風刺するのが芸術ではないのか」と答えた。
国立劇団の孫振策(ソン・ジンチェク)芸術監督は「隠喩や風刺より過度に直説話法が多いのがやや残念だが、このような演劇を現在の状況で国立劇団が作れるというのは、それだけ韓国社会が健康だという傍証」と述べた。
◆演劇『ケグリ』の主なセリフ
風雲(朴正熙を象徴)=こいつら、前ではおどおどしたふりをしながら、裏では原稿姫などと言う。最側近のスタッフが外国に行ってパンツを脱いで暴れるほどに…。
その方(盧武鉉を象徴)=あなたは血で始まって血で終わった人生だ。もう忘れたのか、倭人の手先になりたくて自ら血書を書いたことを。満州の原野でのその恥辱的な活動を。
風雲(朴正熙を象徴)=娘は昨年、試験を受けたが、カンニングをした、点数を操作したなどと攻撃する。学生時代にカンニングペーパーを作らなかった人など、どこにいるのか。それで再試験をしよう、退学させようなどと…」。
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