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【コラム】ダッハウ収容所=韓国

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
ドイツのメルケル首相が20日(現地時間)、全世界に感動をプレゼントした。メルケル首相はこの日、ミュンヘン近郊にあるナチス時代のダッハウ収容所跡をドイツ首相では初めて訪問、「深い悲しみと恥ずかしさを感じる」とし「この訪問が過去から現在、そして未来でつなぐ橋になることを願う」と述べた。東西ドイツ統一と経済的繁栄を通じて欧州の強大国という位置づけを確立したが、ドイツはこのように過去の歴史に対し、変わりない反省の姿勢と謙虚な態度を維持している。

ダッハウ収容所はナチス収容所の典型だ。第2次世界大戦中に欧州全域に建設された数多くの労働キャンプの原型となった。アドルフ・ヒットラーの執権から間もない1933年3月22日に開設された。ヒットラーの右腕でユダヤ人大虐殺の企画者ハインリヒ・ヒムラーが火薬工場を改造して建設した。当初はドイツ人政治犯拘禁施設として使用され、後に非協調的な聖職者、ユダヤ人、ドイツ・オーストリアの一般犯罪者、占領地の外国人政治犯、フランスのレジスタンスに戦争捕虜までも収容した。同性愛者・ジプシー・障害者などナチスが反社会的だとして差別した人たちも含まれた。差別がなぜ人類に対する犯罪かを見せる部分だ。12年間に約30カ国出身の20万6206人が収容され、うち3万1951人が処刑・殴打・虐待・寒さ・飢え・病気で死亡したと記録されている。

注目されるのは、ナチスが要注意人物として注目した聖職者を収容する施設としても利用されたという点だ。無国籍を含む20カ国出身の聖職者2720人が収容されたが、うち2579人がカトリック司祭だった。聖職者のうち1034人が命を失った。ポーランドの聖職者1780人が収容され、半分近い868人が死亡した。うち38人の司祭、3人の修道士、3人の一般信者の44人は、99年にポーランド・ワルシャワで、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がナチスによって殺害されたポーランド人殉教者(108人)を列福する際、福者(聖人の前の段階)となった。


ダッハウ収容所は45年4月29日、米軍によって解放された後、ナチスの囚人が収容された。戦犯裁判を待つナチス親衛隊将校の収容施設として使われた。親衛隊将校40人のうち36人が45年12月13日に死刑を言い渡され、うち23人が翌年5月に絞首刑となった。ほとんどが戦争中の米軍捕虜・米国市民虐殺の容疑者だったが、収容所で人体実験をした医師も含まれた。人体実験と関連し、親衛隊医師7人が死刑宣告を受け、うち5人は刑が執行された。

48年から60年代半ばまでは戦後の東欧、特にチェコのドイツ系密集居住地ズデーテンから追い出された約2000人がドイツに定着する場所を探すまで待機する場所として利用された。同時に米軍軍事基地としても使用され、軍人の子どものための小学校まで運営された。60年に公式的に閉鎖され、追悼施設となったが、その後も一部の難民が非公式的に居住し、去っていった。

この収容所の生存者の中には、後に人類のために寄与した人物が少なくない。ハンガリー出身のユダヤ人モーセ・サンバルは戦後イスラエルに渡って経済学者となり、イスラエル中央銀行総裁を務めた。ポーランドで生まれたユダヤ系フランス人でレジスタンス活動をして収容されたジョルジュ・シャルパクは物理学者となり、92年にノーベル物理学賞を受賞した。20日、メルケルのダッハウ訪問に同行した89歳のジャン・サムエルも当時収容されたレジスタンス出身だ。彼はこう述べた。「記憶は私たちの義務だ」。韓国人にも絶対に忘れてはならない歴史がある。 (中央SUNDAY第337号)



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