ロンドン・クイーンズ劇場のインタビュールームで会ったチョン・ナヨンさん。「韓国人の血が流れているため切ない感情表現がうまくできるようだ」と語った。
チョン氏はオランダでミュージカル俳優、テレビタレントとして活動する“ミュージカルの帝王”キャメロン・マッキントッシュ(レ・ミゼラブル、キャッツ、オペラ座の怪人、ミス・サイゴンを手掛けた英国人ミュージカル制作者)の目に止まり、抜てきされた。チョンさんはオランダで生まれて育ったが、韓国語も話す。「国籍はオランダだが、私の体と血は韓国」と話した。
--どういう過程でファンティーヌ役を演じることになったのか。
「2011年にオランダでミュージカル『ミス・サイゴン』の女主人公キム役で公演した時から、英国でファンティーヌ役を一度してみたいという夢を持ち始めた。その年、韓国に行って公演するレ・ミゼラブルのコゼット役のオーディションを受けたが、落選した。2012年にはロンドン劇場公演のファンティーヌ役のオーディションに挑戦したが、年齢が低いという理由でまた落ちた。そして5月、今回はエポニーヌ役のオーディションに参加した。最終選抜を控えて制作者のキャメロン・マッキントッシュ氏が『エポニーヌよりもファンティーヌに合うかもしれない』といって、ファンティーヌの歌の『I Dreamed a Dream』を一度歌ってみろと言われた。予定になかったことなので歌詞が書かれた本を見ながら歌った。マッキントッシュ氏がその場でファンティーヌ役に決めた」
--ミュージカル俳優になるまでの過程は。
「ロッテルダム芸術学校に通う頃からオランダのミュージカルの大小の役を演じた。ミス・サイゴンの主人公になって名前が知られ始め、その後、オランダやベルギーのテレビドラマなどに出演した」
--オランダで生まれ育ったが、親がそこに移民したのか。
「40年ほど前に母の父が外交官としてオランダに家族と一緒に来た。当時、母は10代だった。その後、母の父はオランダに定着し、母はベルギーで医療機輸出入事業をしていた父に会って結婚した。家族はみんなハーグに住んでいる」
--オランダの人と外貌が違うことで苦労はなかったか。
「17歳までは韓国に対する抵抗感が強かった。自分が東洋人の容貌であることも気に入らなかった。特に父が『世の中は三角形の構造をしている。優秀な人は少数で、その下に多くの平凡な人たちがいる』と話すのも気に入らなかった。それが韓国的な考え方だと考えた。しかし私が韓国の血を引き、韓国的な情緒を持っているということは拒めない事実ということを悟り始めた。キム・ギドク監督の映画を見ながら韓国にもいろいろな人たちがいるということを発見できた。今は韓国人に生まれたことを誇りに思う」
--自分が韓国的な情緒を持つことをどう悟ったのか。
「幼い頃からなぜか韓国の歌が好きだった。4歳の時に親と一緒に韓国に行った時、劇場で映画『西便制』を見てからアリランを口ずさむようになった。歌が好きになるきっかけだった。その後、沈清歌などを聴いて真似し始めた。私が歌って演技するうえで他の人たちと違う点があるなら、唱やパンソリに含まれた韓国的な感じがあるからだろう。特にミス・サイゴンのキム役、レ・ミゼラブルのファンティーヌ役のように、内面の深い悲しみを表現するのに役立った」
--今後はどんなことをしたいか。
「曲を書く芸術家として生きたい。韓国に行って国楽の勉強をしながらミュージカル俳優や映画俳優として活動したいという希望も持っている」
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