慶煕(キョンヒ)大学ヒューマニタス(Humanitas)カレッジ(教養学部の別称)のシン・ウンヒ教授(44)は“主体思想の伝導師”と呼ばれてきた。ソウル生まれでカナダ国籍を取得した宗教哲学者のシン教授は、多くの親北朝鮮的な発言で話題をふりまいた。金日成(キムイルソン)の遺体の前で涙を見せた住民たちを「イエスの亡骸の前で泣く女性たちのように見える」と言い、2004年の龍川(ヨンチョン)爆発事故の時は金日成の肖像画を取り出そうとして亡くなった教師を殉教者と描写して論議をかもした。彼女に親北朝鮮左派というレッテルがついて回る理由だ。
そんな彼女が、金正恩(キム・ジョンウン)体制の北朝鮮に対して批判を吐き出した。シン教授は先月31日の中央日報とのインタビューで「北朝鮮は特権を持つ上位1%中心の社会」として「北朝鮮社会の階級主義は、実に拒否感のある手に負えない部分」と話した。さらに「北朝鮮に対する希望が10年で絶望に変わった」として「変わらなければ結局、北朝鮮の金正恩体制の終着駅は、中東の民主化を導いたジャスミン革命と同じことになるだろう」と強調した。北朝鮮を見る視角の変化、すなわち“転向したということなのか”という記者の質問にシン教授は首を縦に振った。
--北朝鮮問題に関心を持つことになったきっかけは。
「米国アイオワ州のシムソン大学教授(宗教哲学部)だった2003年3月に学問的関心と奉仕活動の目的で初めて北朝鮮を訪問した。以後2006年まで4回北朝鮮を訪問して金日成大学や平壌(ピョンヤン)外国語大学で宗教哲学を講義した。母親の故郷が咸鏡南道(ハムギョンナムド)の北青(プクチョン)だという以外に北朝鮮と縁はない」。
シン教授は大学卒業後の90年代初めにカナダに移民し、トロント大学で神学と宗教学を専攻し博士学位を取得した。北朝鮮の訪問経験を土台に著書、インターネット等を通して北朝鮮関連の文を書いてきており、2008年からは慶煕大学で講義している。
--北朝鮮訪問記をめぐって論議が起きた。
「北朝鮮を“北朝国”と呼ぶことから快く思わない人が多かった。2005年12月にあるインターネット媒体に掲載した文で『北朝鮮に米国式の宗教の自由を押しつけるのは文化的レベルの宗教テロリズムだ。北が宗教弾圧国ならば米国は宗教テロ国』と書いたのだが反発が大きかった。北朝鮮訪問の経験を土台に韓国と北朝鮮を恋人関係のように表現した本『私たちは再び愛することができないだろうか』も同じだった」。
「北朝鮮が宗教弾圧国なら、米国は宗教テロ国」と主張していた“親北”韓国人教授が“転向”(2)
そんな彼女が、金正恩(キム・ジョンウン)体制の北朝鮮に対して批判を吐き出した。シン教授は先月31日の中央日報とのインタビューで「北朝鮮は特権を持つ上位1%中心の社会」として「北朝鮮社会の階級主義は、実に拒否感のある手に負えない部分」と話した。さらに「北朝鮮に対する希望が10年で絶望に変わった」として「変わらなければ結局、北朝鮮の金正恩体制の終着駅は、中東の民主化を導いたジャスミン革命と同じことになるだろう」と強調した。北朝鮮を見る視角の変化、すなわち“転向したということなのか”という記者の質問にシン教授は首を縦に振った。
--北朝鮮問題に関心を持つことになったきっかけは。
「米国アイオワ州のシムソン大学教授(宗教哲学部)だった2003年3月に学問的関心と奉仕活動の目的で初めて北朝鮮を訪問した。以後2006年まで4回北朝鮮を訪問して金日成大学や平壌(ピョンヤン)外国語大学で宗教哲学を講義した。母親の故郷が咸鏡南道(ハムギョンナムド)の北青(プクチョン)だという以外に北朝鮮と縁はない」。
シン教授は大学卒業後の90年代初めにカナダに移民し、トロント大学で神学と宗教学を専攻し博士学位を取得した。北朝鮮の訪問経験を土台に著書、インターネット等を通して北朝鮮関連の文を書いてきており、2008年からは慶煕大学で講義している。
--北朝鮮訪問記をめぐって論議が起きた。
「北朝鮮を“北朝国”と呼ぶことから快く思わない人が多かった。2005年12月にあるインターネット媒体に掲載した文で『北朝鮮に米国式の宗教の自由を押しつけるのは文化的レベルの宗教テロリズムだ。北が宗教弾圧国ならば米国は宗教テロ国』と書いたのだが反発が大きかった。北朝鮮訪問の経験を土台に韓国と北朝鮮を恋人関係のように表現した本『私たちは再び愛することができないだろうか』も同じだった」。
「北朝鮮が宗教弾圧国なら、米国は宗教テロ国」と主張していた“親北”韓国人教授が“転向”(2)
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