柿谷曜一朗(23、セレッソ大阪)と金東ソプ(キム・ドンソプ、24、城南)。28日にソウル蚕室で行われた東アジアカップ韓日戦で悲喜が分かれた両チームのストライカーだ。柿谷は先制ゴールと決勝ゴールを決め、日本を2-1の勝利に導いた。金東ソプは得点なく後半26分に退いた。
1990年に大阪で生まれた柿谷と1989年に京畿道利川で生まれた金東ソプのサッカー人生は妙にオーバーラップする。幼い頃から頭角を現し、各級の代表を経験した。
柿谷は地元クラブのセレッソ大阪に入団し、金東ソプは高校を卒業する前に日本Jリーグに進出した。2人は2009-10年、徳島でチームメートだった。そして東アジアカップで同時にAマッチデビューを果たした。
東アジアカップでは柿谷の勝利だ。両選手は2試合に出場した。柿谷は3得点、金東ソプは無得点。こうした結果は、日本と韓国のプロサッカーのシステムの違いに起因する。
◆似ているようで違うユース時代=柿谷は4歳の時、セレッソ大阪のユースチームに入団した。遊びでサッカーを始めたが、16歳の06年にセレッソ大阪とプロ契約を結んだ。チーム史上最年少契約選手の柿谷は06年11月にJリーグでデビューした。球団は柿谷をアーセナル(イングランド)とインテル・ミラノ(イタリア)で研修させた。
金東ソプは“サッカー塾”で成長した。韓国の“サッカー塾”は興味や個人技より、目の前の勝利と優勝が重要なシステムだ。今月閉幕したU-20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)で8強入りを果たしたイ・グァンジョン監督は「勝つためにロングボールを前に送るサッカーから学ぶ悲しい現実」と話す。
こうした状況でも金東ソプは成長した。チャンフン高校時代、187センチの長身に鋭いシュート力まで兼ね備え、朴主永(パク・ジュヨン、28)の後継者と評価された。
<東アジア杯>韓国の壁になった日本、その壁を築いたJリーグ(2)
1990年に大阪で生まれた柿谷と1989年に京畿道利川で生まれた金東ソプのサッカー人生は妙にオーバーラップする。幼い頃から頭角を現し、各級の代表を経験した。
柿谷は地元クラブのセレッソ大阪に入団し、金東ソプは高校を卒業する前に日本Jリーグに進出した。2人は2009-10年、徳島でチームメートだった。そして東アジアカップで同時にAマッチデビューを果たした。
東アジアカップでは柿谷の勝利だ。両選手は2試合に出場した。柿谷は3得点、金東ソプは無得点。こうした結果は、日本と韓国のプロサッカーのシステムの違いに起因する。
◆似ているようで違うユース時代=柿谷は4歳の時、セレッソ大阪のユースチームに入団した。遊びでサッカーを始めたが、16歳の06年にセレッソ大阪とプロ契約を結んだ。チーム史上最年少契約選手の柿谷は06年11月にJリーグでデビューした。球団は柿谷をアーセナル(イングランド)とインテル・ミラノ(イタリア)で研修させた。
金東ソプは“サッカー塾”で成長した。韓国の“サッカー塾”は興味や個人技より、目の前の勝利と優勝が重要なシステムだ。今月閉幕したU-20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)で8強入りを果たしたイ・グァンジョン監督は「勝つためにロングボールを前に送るサッカーから学ぶ悲しい現実」と話す。
こうした状況でも金東ソプは成長した。チャンフン高校時代、187センチの長身に鋭いシュート力まで兼ね備え、朴主永(パク・ジュヨン、28)の後継者と評価された。
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