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【中央時評】コネ重視、韓国が日本より深刻(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
新政権が掲げた創造経済の定義についてはさまざまな声が出ている。しかし政府がそれを敢えて定義する必要はあるのだろうか。これを定義しようとすれば意味が狭まり、むしろ歪みが生じる。国民はこれを定義しなくても、あらましどういう意味かは理解していると考える。過去のように資本・労働の投入増加で高い成長率を持続するのはもう限界に達したため、生産性を高め、高成長を続けようという意味ではないだろうか。

経済学ではこの生産性をより具体的に全要素生産性(Total Factor Productivity)と表現するが、これは資本・労働のような要素投入の増加だけでは説明できない成長の増加を意味する。すなわち、資本と労働を2%ずつ増加させたが経済は5%成長したとすれば、全要素生産性の増加によって残り3%の成長を遂げたということだ。一種の「残余(residual)」概念だ。この中には生産技術の革新だけでなく、労使関係、経営の効率性、法・制度の改善など、あらゆるものが含まれる。したがって私たちが「創造」というのは、まさにこういうものを向上させることだといえる。

このように見ると、創造経済を実現する能力は結局、私たち社会の知識水準と各種制度の合理性にかかっており、それをどれほど高めていけるかが創造経済の成敗を決めることになる。先進国と後進国を分ける最も大きな基準が技術と知識を先導しているか、制度と法の適用が合理的かというものなら、今日の韓国がこの時点で創造と革新を強調するのは適切で必要だと考える。


なら、韓国社会の知識水準と合理性をどう高めるのか。教育改革が重要であることは言うまでもない。しかし筆者はここで私たちの社会文化をまず話したい。知識は読書と思索、そして討論と実験を通じて蓄積される。そしてこれは絶対的な時間の量を必要とする。頻繁な酒の席と慶弔を要する集団主義文化で知識が育つのは難しい。日帝の遺産なのかもしれないが、今日の私たちは非常に集団的な社会文化を持っている。ロンドン政経大学教授だった森嶋通夫氏は著書『なぜ日本は「成功」したか?』(1982)で、儒教の忠という言葉はもともと中国では自ら心の中心を持つこと、すなわち自分に対する忠実を意味したが、これが日本に渡ると自分が属する集団に対する忠誠がさらに強調されたと伝えている。



【中央時評】コネ重視、韓国が日本より深刻(2)

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