“最後のナチス戦犯ハンター”と呼ばれたサイモン・ウィーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Center、以下SWC)のエフライム・ツーロフ(Efraim Zuroff)所長とのインタビュー実現は、まさに意外なものだった。世界各地に潜伏していたナチス戦犯が摘発されるたびに外信が彼の話を引用しているのを見て、SWCにインタビュー要請の電子メールを送ったのだが、果たして彼が関心を見せるのか懐疑的だった。
だが結果は予想外だった。電子メールを送ってわずか3時間で彼から直接返信があったのだ。「そうでなくても最近、日本の政治家たちの戦争犯罪否認を憂慮していた」と、いつか必ず中央日報のインタビューをしたいと、逆に要請してくるほどの熱意を見せた。
彼とのインタビューで本当に難しかったのは交渉や記事作成ではなく、質問事項の準備だった。彼の活動を取材するほど「韓国はどうだったか」と自ら恥ずかしく感じたからだ。日本の戦犯処理に対する記者の知識が浅く、身が縮む思いさえした。
これを挽回するために本や論文を検索して、さらに驚かなければならなかった。資料と呼べるほどのものがないと言っていいほど、参考にする文献自体を探すのに骨を折ったからだ。ドイツと日本の戦後歴史の意識比較は時々あったが、日本戦犯の処理をテーマにした資料は指で数えるほどしかなかった。
国際法と国際社会の慣習上、ナチスドイツのホロコーストや日本の慰安婦動員は同じように国内法の控訴時効が適用されない反人道犯罪だ。原則的には今でも日本戦犯を起訴することが可能だということだ。しかし戦犯狩り自体は韓国にとってなじみの薄い概念なのだ。戦後、半人道犯罪で処罰された日本戦犯はごく少数に過ぎない。いまだに痛みを抱える被害者がいるのに、加害者を罰するつもりはないという矛盾した状況だ。
そこでツーロフに投げた初めての質問が「韓国と違い、イスラエルは今でも戦犯を処罰できる理由が何か」であった。彼は「結局、政府だけが戦犯を起訴することができる」と答え、イスラエル政府が外国に潜伏した戦犯を直接連行して法廷に立たせた例をあげた。そして「ユダヤ民族は自分たちが経験したことや恐怖をとてもよく記憶していて、そのような事を犯した者のことも絶対に忘れないと話す」とした。直接的な回答ではなかったが、政府と国民の意志にかかった問題だという意味に受け取った。
正義の女神が持つ剣は、断罪する不正の対象を差別はしない。韓国人が経験したことはユダヤ人には及ばないが、その刃で日本戦犯を断じることのできない理由はない。加害国であるドイツと日本の態度の差を比較する前に、この質問からしてみよう。ひょっとして“私たち”自身が忘れているのではないだろうか、と。
ユ・ジヘ政治国際部門記者
だが結果は予想外だった。電子メールを送ってわずか3時間で彼から直接返信があったのだ。「そうでなくても最近、日本の政治家たちの戦争犯罪否認を憂慮していた」と、いつか必ず中央日報のインタビューをしたいと、逆に要請してくるほどの熱意を見せた。
彼とのインタビューで本当に難しかったのは交渉や記事作成ではなく、質問事項の準備だった。彼の活動を取材するほど「韓国はどうだったか」と自ら恥ずかしく感じたからだ。日本の戦犯処理に対する記者の知識が浅く、身が縮む思いさえした。
これを挽回するために本や論文を検索して、さらに驚かなければならなかった。資料と呼べるほどのものがないと言っていいほど、参考にする文献自体を探すのに骨を折ったからだ。ドイツと日本の戦後歴史の意識比較は時々あったが、日本戦犯の処理をテーマにした資料は指で数えるほどしかなかった。
国際法と国際社会の慣習上、ナチスドイツのホロコーストや日本の慰安婦動員は同じように国内法の控訴時効が適用されない反人道犯罪だ。原則的には今でも日本戦犯を起訴することが可能だということだ。しかし戦犯狩り自体は韓国にとってなじみの薄い概念なのだ。戦後、半人道犯罪で処罰された日本戦犯はごく少数に過ぎない。いまだに痛みを抱える被害者がいるのに、加害者を罰するつもりはないという矛盾した状況だ。
そこでツーロフに投げた初めての質問が「韓国と違い、イスラエルは今でも戦犯を処罰できる理由が何か」であった。彼は「結局、政府だけが戦犯を起訴することができる」と答え、イスラエル政府が外国に潜伏した戦犯を直接連行して法廷に立たせた例をあげた。そして「ユダヤ民族は自分たちが経験したことや恐怖をとてもよく記憶していて、そのような事を犯した者のことも絶対に忘れないと話す」とした。直接的な回答ではなかったが、政府と国民の意志にかかった問題だという意味に受け取った。
正義の女神が持つ剣は、断罪する不正の対象を差別はしない。韓国人が経験したことはユダヤ人には及ばないが、その刃で日本戦犯を断じることのできない理由はない。加害国であるドイツと日本の態度の差を比較する前に、この質問からしてみよう。ひょっとして“私たち”自身が忘れているのではないだろうか、と。
ユ・ジヘ政治国際部門記者
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