その変化は習主席の父・習仲勲時代と比較される。1982年10月、習仲勲は平壌(ピョンヤン)を訪問した。習仲勲は全人代常務委員会副委員長だった。金日成(キム・イルソン)主席にも会った。「兄弟的朝鮮人民、血で結ばれた親善と戦闘的団結」を叫んだ。
習仲勲は板門店(パンムンジョム)北側の板門閣の前に立った(労働新聞82年10月14日付の写真)。習仲勲は「南朝鮮と米国が戦争の火をつければ、われわれは鴨緑江(アムノッカン)を渡るだけでなく、他の方面でも朝鮮を積極的に支援する」と述べた。「中国と朝鮮の親善は代を継ぐ」とも語った。
【コラム】朴槿恵外交の大乱大治(2)
習仲勲は板門店(パンムンジョム)北側の板門閣の前に立った(労働新聞82年10月14日付の写真)。習仲勲は「南朝鮮と米国が戦争の火をつければ、われわれは鴨緑江(アムノッカン)を渡るだけでなく、他の方面でも朝鮮を積極的に支援する」と述べた。「中国と朝鮮の親善は代を継ぐ」とも語った。
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