北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が直面した状況はこのように例えることができる。子どもがミサイルを持って戦争ごっこをした。おもちゃの水鉄砲を撃つようにミサイルを発射したが、大人は子どもに「これをやるから危険な火遊びはやめなさい」と物を与えてなだめることをしなかった。むしろ大人は与えてきたプレゼントまでやめてしまい、子どもを相手にしなかった。子どもは体面を保つほどの見返りも受けられず、ミサイル戦争ごっこをやめるしかなかった。そして信頼する部下を最も理解ある大人に送り、機嫌を取らなければならなかった。安倍という小さな大人が勇敢に「私たち同士うまくやろう」と手を差し出すと、すぐにその手をつかんだが、他の大人の態度は相変わらず冷たい。
金正恩はこのようにして、側近の朝鮮人民軍総政治局長・崔竜海(チェ・ヨンヘ)を中国に特使として送った。5カ月間、北朝鮮は中国の強い反対を無視し、長距離ロケット発射と3度目の核実験を強行した。これとともに連日、殺伐な修辞(Rhetoric)を動員し、韓国と米国に戦争の脅威を与えた。北朝鮮の不動の後見人と知られた中国の威信が大きく落ちた。このため習近平主席と中国指導部は北朝鮮に中国の前で騒ぎを起こすのを容認しないと厳しく警告し、中国中央銀行は北朝鮮の対外取引を総括する朝鮮貿易銀行との取引を中断し、対北朝鮮輸出品の通関手続きを強化した。
金正恩は最初から武力挑発する考えはなかった。彼の目的は対内的に強力な指導者イメージを広めて権力基盤を強化し、米国との直接交渉を望んで口頭挑発で危機を最大限に高めたのだった。しかし米国は強力な力の誇示で対応した。アジア・太平洋地域で中国の挑戦に押されていた米国は、北朝鮮の挑発を機会と見なし、B-2、B-5などの先端戦略爆撃機を韓米合同トクスリ訓練に参加させ、韓国には米国の抑止力が健在であることを見せて北朝鮮の挑発の意志を挫き、中国にはこの地域で米国の軍事的な存在を誇示するという三重の効果を同時におさめた。原子力潜水艦の東海(トンヘ、日本名・日本海)配備は北朝鮮が最も恐れる抑止力だった。米国は金正恩と北朝鮮軍部に対し、紛争再発は北朝鮮体制の危機を意味するというメッセージをはっきりと伝えたのだ。
朴槿恵(パク・クネ)政権も北朝鮮の休戦協定無効宣言と開城(ケソン)工業団地稼働中断に動じなかった。韓国と米国から体面を保つ具体的な提案を期待した金正恩に返ってきたのは、対話の窓は開かれているという言葉だけだった。朴大統領の5月初めの米国訪問でも、韓米同盟の再確認と対北朝鮮強硬発言だけが出て、金正恩の期待が崩れた。これ以上耐えられず、振り上げた拳を下ろすしかなかった金正恩は、東海にミサイル3発を発射し、ミサイル戦争ごっこをやめるしかなかった。日本の安倍晋三首相が韓米日の対北朝鮮協調を離脱し、特使を平壌(ピョンヤン)に送ったのが、孤立の中の金正恩には思いがけない幸運だった。
崔竜海(チェ・ヨンヘ)を中国に送る特使に決めたのは、金正恩の一石二鳥の絶妙の選択だ。人民軍総参謀部作戦局長と他の将軍が同行した。金正恩が今の危機を主導または動機を付与した崔竜海に中国特使の大きな任務を与えたのは、「危機を主導的に作った軍が中国に行って危機の終息と対話受け入れ意思を明らかにしろ。戻ってきて何も言うな」という高度に計算されたメッセージだろう。
【コラム】非常口を探す金正뚉(2)
金正恩はこのようにして、側近の朝鮮人民軍総政治局長・崔竜海(チェ・ヨンヘ)を中国に特使として送った。5カ月間、北朝鮮は中国の強い反対を無視し、長距離ロケット発射と3度目の核実験を強行した。これとともに連日、殺伐な修辞(Rhetoric)を動員し、韓国と米国に戦争の脅威を与えた。北朝鮮の不動の後見人と知られた中国の威信が大きく落ちた。このため習近平主席と中国指導部は北朝鮮に中国の前で騒ぎを起こすのを容認しないと厳しく警告し、中国中央銀行は北朝鮮の対外取引を総括する朝鮮貿易銀行との取引を中断し、対北朝鮮輸出品の通関手続きを強化した。
金正恩は最初から武力挑発する考えはなかった。彼の目的は対内的に強力な指導者イメージを広めて権力基盤を強化し、米国との直接交渉を望んで口頭挑発で危機を最大限に高めたのだった。しかし米国は強力な力の誇示で対応した。アジア・太平洋地域で中国の挑戦に押されていた米国は、北朝鮮の挑発を機会と見なし、B-2、B-5などの先端戦略爆撃機を韓米合同トクスリ訓練に参加させ、韓国には米国の抑止力が健在であることを見せて北朝鮮の挑発の意志を挫き、中国にはこの地域で米国の軍事的な存在を誇示するという三重の効果を同時におさめた。原子力潜水艦の東海(トンヘ、日本名・日本海)配備は北朝鮮が最も恐れる抑止力だった。米国は金正恩と北朝鮮軍部に対し、紛争再発は北朝鮮体制の危機を意味するというメッセージをはっきりと伝えたのだ。
朴槿恵(パク・クネ)政権も北朝鮮の休戦協定無効宣言と開城(ケソン)工業団地稼働中断に動じなかった。韓国と米国から体面を保つ具体的な提案を期待した金正恩に返ってきたのは、対話の窓は開かれているという言葉だけだった。朴大統領の5月初めの米国訪問でも、韓米同盟の再確認と対北朝鮮強硬発言だけが出て、金正恩の期待が崩れた。これ以上耐えられず、振り上げた拳を下ろすしかなかった金正恩は、東海にミサイル3発を発射し、ミサイル戦争ごっこをやめるしかなかった。日本の安倍晋三首相が韓米日の対北朝鮮協調を離脱し、特使を平壌(ピョンヤン)に送ったのが、孤立の中の金正恩には思いがけない幸運だった。
崔竜海(チェ・ヨンヘ)を中国に送る特使に決めたのは、金正恩の一石二鳥の絶妙の選択だ。人民軍総参謀部作戦局長と他の将軍が同行した。金正恩が今の危機を主導または動機を付与した崔竜海に中国特使の大きな任務を与えたのは、「危機を主導的に作った軍が中国に行って危機の終息と対話受け入れ意思を明らかにしろ。戻ってきて何も言うな」という高度に計算されたメッセージだろう。
【コラム】非常口を探す金正뚉(2)
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