数年前、サービス業従事者の過度な敬語が社会的に話題になった。例えば「お飲み物がお出になりました」 「この箱にはパンが12個お入りになります」のような、いわゆる「事物尊称」だ。お客様を高めようとして、飲み物、パンが一緒に身分上昇する形だ。「4000ウォンにおなりになります」というコンビニの店員に「4000ウォンおいでになります」と言い返すところだったという話はただの笑い話で聞き流せないようだ。
国立国語院が指摘する過度な敬語は私たちの日常でたくさんみられる。興味深いのは、そのような過度な敬語を使う当事者自身も自分の話法がどれほど滑稽かをよく知っているという点だ。過恭は非礼という昔の言葉があてはまるケースだ。ところで彼らはなぜ自分でもぞっとすると言いながらも、客に応対する際にあたかも自動人形のように「事物尊称」を使うのか。
主犯は顧客優待を過度に強調する企業と社会の雰囲気だ。なにか問題を起こして騒ぎになれば厄介だから、いくら顧客が偉そうな態度を見せても、ひとまずサービス業の従事者は頭を下げなければいけないということだ。敬語のインフレもこうした基調の副産物だ。
次はあるインターネットで見つけたあるデパート職員の話だ。「毎朝、開店前に『正しい語法で応対しましょう』という案内放送があります。しかし誰も耳を傾けません。正しい敬語を使っても二重敬語ほど使わなければ『店員が態度がなっていない』という抗議を受けるというあきれるようなケースもあります。だからとにかく相手を高めます」。私が飲むコーヒーが“お出になる”に慣れてしまった人には、いつのまにかお金を出したのだから大抵の要求はしてもかまわないという思考の飛躍が生じる。
最近、航空機ビジネス席に搭乗したある大企業の役員の”ラーメン騒動”を見ながら、敬語論争を思い出した。役員になるほど有能なサラリーマンだった彼は、なぜ質の悪い人間に転落したのだろうか。サービス業従事者には何を要求してもかまわないと考えた個人的な品性が1次的な要因かもしれないが、それだけでラーメン騒動の全貌を説明することはできない。「事物尊称」に代表される韓国社会の過熱した顧客優先、親切第一の雰囲気も責任を免れない。乗務員にラーメンを6回も持って来いという人間も問題だが、機内サービスの明白な限界にもかかわらず、無理な要求にずっと応じさせる航空会社の接客マニュアルも問題だ。
ラーメン騒動をきっかけに、私たちはサービス業の定義から見直す必要がありそうだ。サービス業は、お金を支払い、相手が必要なサービスを提供することであり、サービス提供者の霊魂まではたいて相手の機嫌をとらなければならない労役でない。「事物尊称」が生成される環境から変えていかなければならない。使う人も行き過ぎた敬語は非礼というどころか、結局、社会構成員の礼儀のなさを立証するだけだ。
キ・ソンミン中央SUNDAY記者
国立国語院が指摘する過度な敬語は私たちの日常でたくさんみられる。興味深いのは、そのような過度な敬語を使う当事者自身も自分の話法がどれほど滑稽かをよく知っているという点だ。過恭は非礼という昔の言葉があてはまるケースだ。ところで彼らはなぜ自分でもぞっとすると言いながらも、客に応対する際にあたかも自動人形のように「事物尊称」を使うのか。
主犯は顧客優待を過度に強調する企業と社会の雰囲気だ。なにか問題を起こして騒ぎになれば厄介だから、いくら顧客が偉そうな態度を見せても、ひとまずサービス業の従事者は頭を下げなければいけないということだ。敬語のインフレもこうした基調の副産物だ。
次はあるインターネットで見つけたあるデパート職員の話だ。「毎朝、開店前に『正しい語法で応対しましょう』という案内放送があります。しかし誰も耳を傾けません。正しい敬語を使っても二重敬語ほど使わなければ『店員が態度がなっていない』という抗議を受けるというあきれるようなケースもあります。だからとにかく相手を高めます」。私が飲むコーヒーが“お出になる”に慣れてしまった人には、いつのまにかお金を出したのだから大抵の要求はしてもかまわないという思考の飛躍が生じる。
最近、航空機ビジネス席に搭乗したある大企業の役員の”ラーメン騒動”を見ながら、敬語論争を思い出した。役員になるほど有能なサラリーマンだった彼は、なぜ質の悪い人間に転落したのだろうか。サービス業従事者には何を要求してもかまわないと考えた個人的な品性が1次的な要因かもしれないが、それだけでラーメン騒動の全貌を説明することはできない。「事物尊称」に代表される韓国社会の過熱した顧客優先、親切第一の雰囲気も責任を免れない。乗務員にラーメンを6回も持って来いという人間も問題だが、機内サービスの明白な限界にもかかわらず、無理な要求にずっと応じさせる航空会社の接客マニュアルも問題だ。
ラーメン騒動をきっかけに、私たちはサービス業の定義から見直す必要がありそうだ。サービス業は、お金を支払い、相手が必要なサービスを提供することであり、サービス提供者の霊魂まではたいて相手の機嫌をとらなければならない労役でない。「事物尊称」が生成される環境から変えていかなければならない。使う人も行き過ぎた敬語は非礼というどころか、結局、社会構成員の礼儀のなさを立証するだけだ。
キ・ソンミン中央SUNDAY記者
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