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【噴水台】韓国が日本を支配した後「侵略でない」と言えば…

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
ある会社員がいた。出勤の途中、地下鉄駅の階段に毎日もの乞いをするホームレスが座っていた。1週間に1回ずつこのホームレスに紙幣を積善した。3年が過ぎたある日、ホームレスが頭を上げて会社員に話した。「先生、一昨年は1万ウォンをくださったのに、昨年は5000ウォン、そして今年は1000ウォンとは、どういうことですか」。会社員が答えた。「私はその間に結婚をして子どもまでいるので…」。ホームレスは怒った表情でこう返した。「いや、では私のお金で家族を養うということですか」。

一瞬、正しい言葉のように聞こえる。周期的に受けてきたので自分のものと感じていたのだ。私のお金で自分の家族を養う? という反感が生じるものかもしれない。しかし本来は誰のものか考えればすぐに答えが出てくる。こういう問答がユーモアならまだしも、実際に再現されれば問題が深刻化する。意図的に便利なものだけ取捨選択する詭弁の弊害だ。

1990年代後半の東京特派員時代、自民党の国会議員2人と一緒に食事をしたことがある。ある議員が日帝時代の植民地の朝鮮であった強制徴兵について釈明したその言葉を今でも忘れない。「当時、私たちも家に赤紙(徴集令状)が送られてくれば否応なく戦場に引き出された」。植民地だけでなく内地(日本本土)の日本人も戦場に連れ出されたのだから差別したのではない、という意味だった。果たしてそうだろうか。韓国人と日本高齢者世代の間のこの上なく大きな認識の違いを実感した。


自分を中心に考えたいが、人に認めてもらえないから、心急いて詭弁を動員することになる。この数日間にあふれ出た日本発の発言がそうだ。麻生太郎日本副総理兼財務相は2月、朴槿恵(パク・クネ)大統領の就任式に特使として出席し、南北戦争に対する米国南・北部の見解の違いを例にあげながら韓国・日本もお互い歴史認識が異なるしなかいと話したという。23日には安倍晋三首相が「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。(国によって)どちらから見るかによって違う」と主張した。相対主義論理を極大化した言葉遊びだ。

このように認識は国ごとに違い、侵略もなかったとすれば、例えばのケースとして対馬を韓国が35年間ほど支配するという想像はいかがなものか。もちろん形式的に併合条約を締結し、適法性の是非を最小化する。住民に国語常用という美名の下で韓国語だけを使用させ、男性は韓国軍として徴集し、魚族資源を韓国がすべて持っていき、反発する人は拷問して死刑にし、全住民を金氏・李氏など韓国名に変えれば? そして「侵略はしなかった。どちらから見るかによって違う」と言えば…。

ノ・ジェヒョン論説委員



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