“神様の息子”イエスが最も好きな俳優は?ジョニー・デップだ。コンビニエンスストアで遭遇した女子高生が「ジョニー・デップに似ていた」とコソコソ言うのにうぬぼれて、いつか彼とともに映画に出演することを夢見る。“悟りを得た人”ブッダが最も好きな漫画家は手塚治虫だ。自身の人生を本物よりさらに興味深く描き出したマンガ『ブッダ』に大きな感銘を受けたからだ。
これは何の不敬な冗談かだって? 最近おもしろく読んでいるマンガ『聖☆おにいさん』の中の話だ。日本のマンガ家・中村光の作品で、韓国では単行本で7冊まで出版された。ミレニアムをそわそわして過ごしたイエスとブッダが、わざわざ天界から下界に休暇で来る。2人は日本・東京の小さなアパートに一緒に滞在して、衆生あるいは幼き羊たちの人生を一生懸命に体験する。彼らにとって近頃の世の中は不思議なことだらけだ。ブッダは24時間マンガ喫茶にのめり込んでしまい「コミックマンガを見ても笑わない」修行をして、イエスはオンラインゲームマニアとなって休暇中でも悪魔を退治するのに余念がない。ブッダに謁見しようと動物たちが先を争って家の前に駆せ参じ、イエスが入れば風呂屋の浴水が何度となくワインに変わるなど、行き過ぎた神性のためにさまざまなハプニングも体験する。
仏教やキリスト教の信仰篤い信者ならば「神聖に対する冒とくではないか」と怒るかも知れない。だがこのマンガは、二つの宗教の歴史と教理を分かっていなければ楽しむのが難しい、奇抜な笑いでいっぱいだ。映画館に行った2人の聖人。ブッダは“ネタばれ”が極度に嫌いでパンフレットさえ読もうとしない。するとイエスが話す。「私は何ともないよ。うちの父が“ネタばれ大魔王”なんだから。この世界の終末と同じようなものを遠慮なく“ネタばれ”させたせいだ。その上それを本(聖書)にして出してしまったんだから」。釈迦生誕日にはイエスがブッダに『天上天下唯我独尊』と書かれたお祝いカードを渡す。するとブッダは「若いヤツにした話」としながら「私の“黒歴史”を誕生日ごとに再確認することになるとは」ときまり悪そうにする。
せっかく宗教関連のニュースで心が温まった一週間であった。儀式用リムジンの代わりにシャトルバスに乗って、自身が泊まったホテル部屋代まで直接準備したという“好感法王様”フランチェスコ一世のおかげだ。彼の即位式には改新教・イスラム教・仏教などはもちろん960年間超にわたりカトリックと冷たい関係であったギリシャ正教会使節団まで参加したという。どんな神を信じようが、苦しむ霊魂を慰めて平和を希求する宗教の本質は結局一つなのだという事を感じさせる場面だった。だから分からないわけでもない。イエスとブッダが同じ時代、同じ町内で育ったとすれば、この本の設定のように、またとない“親友”になったかもしれないと。
イ・ヨンヒ文化スポーツ部門記者
これは何の不敬な冗談かだって? 最近おもしろく読んでいるマンガ『聖☆おにいさん』の中の話だ。日本のマンガ家・中村光の作品で、韓国では単行本で7冊まで出版された。ミレニアムをそわそわして過ごしたイエスとブッダが、わざわざ天界から下界に休暇で来る。2人は日本・東京の小さなアパートに一緒に滞在して、衆生あるいは幼き羊たちの人生を一生懸命に体験する。彼らにとって近頃の世の中は不思議なことだらけだ。ブッダは24時間マンガ喫茶にのめり込んでしまい「コミックマンガを見ても笑わない」修行をして、イエスはオンラインゲームマニアとなって休暇中でも悪魔を退治するのに余念がない。ブッダに謁見しようと動物たちが先を争って家の前に駆せ参じ、イエスが入れば風呂屋の浴水が何度となくワインに変わるなど、行き過ぎた神性のためにさまざまなハプニングも体験する。
仏教やキリスト教の信仰篤い信者ならば「神聖に対する冒とくではないか」と怒るかも知れない。だがこのマンガは、二つの宗教の歴史と教理を分かっていなければ楽しむのが難しい、奇抜な笑いでいっぱいだ。映画館に行った2人の聖人。ブッダは“ネタばれ”が極度に嫌いでパンフレットさえ読もうとしない。するとイエスが話す。「私は何ともないよ。うちの父が“ネタばれ大魔王”なんだから。この世界の終末と同じようなものを遠慮なく“ネタばれ”させたせいだ。その上それを本(聖書)にして出してしまったんだから」。釈迦生誕日にはイエスがブッダに『天上天下唯我独尊』と書かれたお祝いカードを渡す。するとブッダは「若いヤツにした話」としながら「私の“黒歴史”を誕生日ごとに再確認することになるとは」ときまり悪そうにする。
せっかく宗教関連のニュースで心が温まった一週間であった。儀式用リムジンの代わりにシャトルバスに乗って、自身が泊まったホテル部屋代まで直接準備したという“好感法王様”フランチェスコ一世のおかげだ。彼の即位式には改新教・イスラム教・仏教などはもちろん960年間超にわたりカトリックと冷たい関係であったギリシャ正教会使節団まで参加したという。どんな神を信じようが、苦しむ霊魂を慰めて平和を希求する宗教の本質は結局一つなのだという事を感じさせる場面だった。だから分からないわけでもない。イエスとブッダが同じ時代、同じ町内で育ったとすれば、この本の設定のように、またとない“親友”になったかもしれないと。
イ・ヨンヒ文化スポーツ部門記者
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