金正日(キム・ジョンイル)が残したという遺書が韓国国内で公開されたことがある。脱北者で「北韓戦略情報サービスセンター」を運営するイ・ユンゴル氏が1年間ほど努力した末、昨年初めに入手したという文書だ。イ氏はこの文書をもとに何度かセミナーも開催し、昨年11月には『金正日の遺書と金正恩(キム・ジョンウン)の未来』という本を出した。中央日報は遺書の内容を2度報道している(12年4月13日、13年1月29日)。
イ・ユンゴル氏によると、遺書が作成された時期は金正日が死去する1年2カ月前の2010年10月ごろという。金正日が娘の金雪松(キム・ソルソン)に口述して作成し、妹の金敬姫(キム・ギョンヒ)に内容を知らせ、後継者の金正恩を含む少数の指導部に公開したのは、1年ほど過ぎた2011年10月8日だったという。金正日の遺書が「10月8日文書」という名で知られている理由だ。
イ氏が公開した遺書は計44項目で、番号が付いている。しかし原文には番号がなかったという。イ氏が便宜上、文章または段落別に番号を付けたということだ。しかし原文と公開した文書の内容と順序は同じだと、イ氏は説明した。
遺書が公開された後、真偽をめぐり専門家の間で論争があった。北朝鮮から正確な情報を入手するのは非常に難しいからだ。果たして金正日が極秘裏に残した遺書を丸ごと入手できるのかという疑問が生じるのは当然だった。
世宗(セジョン)研究所の鄭成長(チョン・ソンジャン)首席研究委員は遺書を本物と判断している。鄭博士は44項目からなる内容について、偽物として作るには難しい性格のものだという点を強調した。特に、自身がこの文書に接した直後に開かれた北朝鮮労働党第4次党代表者会(昨年4月12日)で、遺書の内容通りに主要決定が採択されたとし、「イ・ユンゴル代表が入手した他の情報も信頼度が高い」と述べた。統一研究院の全賢俊(チョン・ヒョンジュン)・鄭永泰(チョン・ヨンテ)選任研究委員も遺書の信頼度は高いと評価している。
半面、情報当局者の評価は分かれる。 ある関係者は「イ代表が入手した情報の信頼度は半々」と低く評価し、遺書の真偽については「分からない」と話している。 さらに「イ代表を信じることができない」という反応を見せる人もいた。 しかし別の当局者は「論争があったが、確認作業の結果、遺書は事実である可能性が高いと判断している」と述べた。
【コラム】金正日は平和統一を望んだのか(2)
イ・ユンゴル氏によると、遺書が作成された時期は金正日が死去する1年2カ月前の2010年10月ごろという。金正日が娘の金雪松(キム・ソルソン)に口述して作成し、妹の金敬姫(キム・ギョンヒ)に内容を知らせ、後継者の金正恩を含む少数の指導部に公開したのは、1年ほど過ぎた2011年10月8日だったという。金正日の遺書が「10月8日文書」という名で知られている理由だ。
イ氏が公開した遺書は計44項目で、番号が付いている。しかし原文には番号がなかったという。イ氏が便宜上、文章または段落別に番号を付けたということだ。しかし原文と公開した文書の内容と順序は同じだと、イ氏は説明した。
遺書が公開された後、真偽をめぐり専門家の間で論争があった。北朝鮮から正確な情報を入手するのは非常に難しいからだ。果たして金正日が極秘裏に残した遺書を丸ごと入手できるのかという疑問が生じるのは当然だった。
世宗(セジョン)研究所の鄭成長(チョン・ソンジャン)首席研究委員は遺書を本物と判断している。鄭博士は44項目からなる内容について、偽物として作るには難しい性格のものだという点を強調した。特に、自身がこの文書に接した直後に開かれた北朝鮮労働党第4次党代表者会(昨年4月12日)で、遺書の内容通りに主要決定が採択されたとし、「イ・ユンゴル代表が入手した他の情報も信頼度が高い」と述べた。統一研究院の全賢俊(チョン・ヒョンジュン)・鄭永泰(チョン・ヨンテ)選任研究委員も遺書の信頼度は高いと評価している。
半面、情報当局者の評価は分かれる。 ある関係者は「イ代表が入手した情報の信頼度は半々」と低く評価し、遺書の真偽については「分からない」と話している。 さらに「イ代表を信じることができない」という反応を見せる人もいた。 しかし別の当局者は「論争があったが、確認作業の結果、遺書は事実である可能性が高いと判断している」と述べた。
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