北朝鮮が「核火の海」「第2韓国戦争」と脅迫し、カカオトークなどで“戦争怪談”が広まっている。
唯一“やけど”が問題だった。顔と首の全体がやけどで赤黒くゆがんでねじれている姿だった。初めて会った子どもは泣き叫んだ。手も正常な指は少なかった。10代の少女時代、韓国戦争(1950-53)中に防空壕から少し早く出たために爆撃を受けたという。私と同じ年代の壮年層が幼かった頃には、やけどおばさんのように村々には戦争の傷を抱えて暮らしている人たちがいた。指が変形した傷痍軍人がいたし、戦争が終わって10年が過ぎても帰らない息子を待つ母親がいた。梅雨には野山で地表に出てきた不発弾に触れて負傷する事故も時々発生した。まだありふれていた米軍の弾薬入れはソリとして、軍用ヘルメットは肥料をすくう用途で重宝された。
何より韓国戦争を体験した親の世代から聞く戦禍の残酷さから、戦争が遠い国の話でないことを実感した。共産軍に山に連れて行かれたが機知を発揮して脱出した母親、38度線を越えて何度も死ぬ思いをした父親。国軍だった親せきは「まっ暗な夜中に必死に退却していたら、人民軍の隊列について歩いていた」という経験談も話す。
「北、いつまた撃つのか」… 延坪島住民の不安、最高潮に(2)
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