3日前に日本のある週刊誌に掲載されたインタビュー記事のため、気分がすっきりしない。先月26日に自民党の新総裁に選ばれた安倍晋三氏(58)の夫人・昭恵氏(50)が「脱韓流ファン」を宣言したという内容だ。記事によると、熱烈な韓流ファンだった昭恵氏は「韓流ドラマ専門チャンネルのKNTVにも加入し、(韓流ドラマを)視聴してきたが、最近は見ていない」と話した。習っていた韓国語もやめたという。理由は簡単だ。夫が独島(ドクト、日本名・竹島)、慰安婦問題などで韓国に強硬な態度を見せているのに、自分だけのんきに韓流を楽しんではいられないということだ。記事の真偽は分からない。しかし昭恵氏が最近、韓国メディアのインタビューを断っていることを考えれば、こうした類推は十分に可能だ。
昭恵氏は単に韓流ドラマだけを楽しんでいたのではない。駐日韓国文化院が主催する各種行事に事前連絡もなく、一人で地下鉄に乗って来たりもした。もちろん、本人が嫌になってやめるのならやむを得ない。しかし夫の政治的性向のため、日本国内の保守勢力の反発を考慮してそうしているのであれば、非常に残念なことだ。文化は政治の壁を越えられると信じていたが。
“安倍氏中心の日本”は単に内部の事情だけではない。日本の官僚も急速に安倍陣営に傾いている。財務省の官僚が韓日通貨スワップ期間の延長を韓国が要請しなければしないという立場を明らかにしたのも、自民党の内部会合に出席した席だった。日本最大の財界団体である経団連も、執権民主党より先に、自民党と先に政策対話をすることにした。すでに与野党が入れ替わったような信じ難い状況だ。
「安倍自民党」の面々を見ると、安倍氏が執権した5年前とそっくりだ。歪曲された歴史観で武装している右翼議員が布陣している。安倍氏本人が政策路線を修正したくても、それを容認できる構図ではない。安倍氏が総裁就任後、テレビに出演し、「野党総裁の時と首相になった後の話は異なるかもしれない。それでも決して私が言葉を変えるということではない」と述べたのも同じ脈絡だ。
懸念されるのは「安倍首相」が登場する場合、ブレーキの役割をする人物がいないということだ。06年の安倍政権当時、日韓議員連盟会長の森喜朗元首相が“家庭教師”の役割をした。安倍氏の所属派閥の首長として、安倍氏の偏狭な“アジア観”を矯正した。しかしすでに安倍氏は森元首相を突き放した状態だ。安倍氏が恐れた小沢一郎元民主党代表も陰の中に消えた。
韓国としてはこれから数年間、「安倍氏の独走」を見守らなければならない憂鬱な状況がくる可能性が高い。しかし考えてみると、安倍氏がこれほど牙を剥く韓国と中国が独島と尖閣問題で「安倍総裁」誕生に最も大きく寄与したというのは実にアイロニーだ。
金玄基(キム・ヒョンギ)東京総局長
昭恵氏は単に韓流ドラマだけを楽しんでいたのではない。駐日韓国文化院が主催する各種行事に事前連絡もなく、一人で地下鉄に乗って来たりもした。もちろん、本人が嫌になってやめるのならやむを得ない。しかし夫の政治的性向のため、日本国内の保守勢力の反発を考慮してそうしているのであれば、非常に残念なことだ。文化は政治の壁を越えられると信じていたが。
“安倍氏中心の日本”は単に内部の事情だけではない。日本の官僚も急速に安倍陣営に傾いている。財務省の官僚が韓日通貨スワップ期間の延長を韓国が要請しなければしないという立場を明らかにしたのも、自民党の内部会合に出席した席だった。日本最大の財界団体である経団連も、執権民主党より先に、自民党と先に政策対話をすることにした。すでに与野党が入れ替わったような信じ難い状況だ。
「安倍自民党」の面々を見ると、安倍氏が執権した5年前とそっくりだ。歪曲された歴史観で武装している右翼議員が布陣している。安倍氏本人が政策路線を修正したくても、それを容認できる構図ではない。安倍氏が総裁就任後、テレビに出演し、「野党総裁の時と首相になった後の話は異なるかもしれない。それでも決して私が言葉を変えるということではない」と述べたのも同じ脈絡だ。
懸念されるのは「安倍首相」が登場する場合、ブレーキの役割をする人物がいないということだ。06年の安倍政権当時、日韓議員連盟会長の森喜朗元首相が“家庭教師”の役割をした。安倍氏の所属派閥の首長として、安倍氏の偏狭な“アジア観”を矯正した。しかしすでに安倍氏は森元首相を突き放した状態だ。安倍氏が恐れた小沢一郎元民主党代表も陰の中に消えた。
韓国としてはこれから数年間、「安倍氏の独走」を見守らなければならない憂鬱な状況がくる可能性が高い。しかし考えてみると、安倍氏がこれほど牙を剥く韓国と中国が独島と尖閣問題で「安倍総裁」誕生に最も大きく寄与したというのは実にアイロニーだ。
金玄基(キム・ヒョンギ)東京総局長
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