--著書の題名『韓国:不可能な国』の意味は。
「2つある。一つ目は、不可能な奇跡を成し遂げた国という意味を込めている。韓国は民主主義と経済発展という2つの奇跡を成し遂げた。二つ目は、今の韓国社会が抱いている成功に対する高い基準を達成するのは不可能に近いという意味だ。教育・評判・容貌・経歴で韓国人はほぼ達成が不可能なほど高い基準に合わせようとしている。そのために自殺率は高まり、幸福指数は低くなっているようだ。ソウル江南(カンナム)大峙洞(テチドン)の子どもたちはなぜ旅行用キャリアに本をたくさん入れて塾に通わなければならないのか。残念に思う気持ちから、こうした“不可能な目標”に苦しむ韓国人の姿を取り上げたかった」
--その背景は何だと思うか。
「成功に対する執着ではないだろうかと思う。大学・職場・経歴、さらには結婚までが、成就しなければならない目標になってしまっているようだ。1960年代以降、目覚しく経済が発展しながら、何一つ後れを取ってはならないという考えを抱くようになり、そのうちに競争が激しくなったようだ。英語への情熱もそうだ。実際に英語が必要でないほとんどの韓国人までが『英語を話せなければ人生で失敗する』という考えを抱いているのではないだろうか。エコノミストのような有力紙もすべて読まなければいけないと考えているようだ。購読部数は5000部ほどだが、私が会うほとんどの人が『エコノミストよく読んでいる』と話す(笑)。行き過ぎた競争は私が愛する韓国人の気質である“情”と“興”にも合わない。02年W杯当時、熱くなった韓国の姿が本物だと思っている。海雲台(ヘウンデ)でお互いを抱き合って応援していると、人波に押されて、いつのまに水が腰のあたりまで来ていたが、ただみんな夢中になって楽しく応援した。そのようなエネルギーが韓国独特の力だ。また04年に会った済州道の雑貨屋の情は韓国人だけの力だ」
--外国人だから特別に親切にしたのでは。
「韓国で数年間暮らしてみたが、そうではないと確信している。もちろん外国人専用タクシーなど、韓国が外国人に過度に親切な部分もある。実際、こうした部分は誤っていると考える。グローバル化を目指す韓国が外国人と韓国人を明確に区別するのはアイロニーだ。実際、外国人という言葉は個人的にうれしくない。『外国人は決して私たちの一員にはなれない』という意味があるようだ」
--著書で韓国は「防御的民族主義」を持っているようだと指摘している。
「韓国は“自分”と“他人”をはっきりと区分する文化が強い。韓国の指導者がいう国際化は“米国化”に近いようだ。『先進国はこうだから私たちもそうしよう』という考え方によく接するが、こういう国際化は韓国の特色を失うだけだ」
--韓国はどうするべきだと考えるか。
「歌手PSYが『江南(カンナム)スタイル』をヒットさせたのは、外国ポップ歌手のように行動したからではない。PSYは韓国の歌手として遊んで笑って楽しんだ。これが“韓国スタイル”ではないだろうか。韓国は韓国だからこそよい。韓国が米国と似ていてよいというのではない。英国の友人が来れば、私たちは屋台でサバに焼酎で幸せだ。韓国と韓国人がもう少し自信を持つことを望む。不可能な目標に縛られるより、“韓国スタイル”で楽しく生きるのはどうだろうか。“満足”という名の奇跡が訪れることを願う」(中央SAUNDAY第290号)
「�国人、不可能な目標は捨てて“韓国スタイル”で暮らすべき」(1)
「2つある。一つ目は、不可能な奇跡を成し遂げた国という意味を込めている。韓国は民主主義と経済発展という2つの奇跡を成し遂げた。二つ目は、今の韓国社会が抱いている成功に対する高い基準を達成するのは不可能に近いという意味だ。教育・評判・容貌・経歴で韓国人はほぼ達成が不可能なほど高い基準に合わせようとしている。そのために自殺率は高まり、幸福指数は低くなっているようだ。ソウル江南(カンナム)大峙洞(テチドン)の子どもたちはなぜ旅行用キャリアに本をたくさん入れて塾に通わなければならないのか。残念に思う気持ちから、こうした“不可能な目標”に苦しむ韓国人の姿を取り上げたかった」
--その背景は何だと思うか。
「成功に対する執着ではないだろうかと思う。大学・職場・経歴、さらには結婚までが、成就しなければならない目標になってしまっているようだ。1960年代以降、目覚しく経済が発展しながら、何一つ後れを取ってはならないという考えを抱くようになり、そのうちに競争が激しくなったようだ。英語への情熱もそうだ。実際に英語が必要でないほとんどの韓国人までが『英語を話せなければ人生で失敗する』という考えを抱いているのではないだろうか。エコノミストのような有力紙もすべて読まなければいけないと考えているようだ。購読部数は5000部ほどだが、私が会うほとんどの人が『エコノミストよく読んでいる』と話す(笑)。行き過ぎた競争は私が愛する韓国人の気質である“情”と“興”にも合わない。02年W杯当時、熱くなった韓国の姿が本物だと思っている。海雲台(ヘウンデ)でお互いを抱き合って応援していると、人波に押されて、いつのまに水が腰のあたりまで来ていたが、ただみんな夢中になって楽しく応援した。そのようなエネルギーが韓国独特の力だ。また04年に会った済州道の雑貨屋の情は韓国人だけの力だ」
--外国人だから特別に親切にしたのでは。
「韓国で数年間暮らしてみたが、そうではないと確信している。もちろん外国人専用タクシーなど、韓国が外国人に過度に親切な部分もある。実際、こうした部分は誤っていると考える。グローバル化を目指す韓国が外国人と韓国人を明確に区別するのはアイロニーだ。実際、外国人という言葉は個人的にうれしくない。『外国人は決して私たちの一員にはなれない』という意味があるようだ」
--著書で韓国は「防御的民族主義」を持っているようだと指摘している。
「韓国は“自分”と“他人”をはっきりと区分する文化が強い。韓国の指導者がいう国際化は“米国化”に近いようだ。『先進国はこうだから私たちもそうしよう』という考え方によく接するが、こういう国際化は韓国の特色を失うだけだ」
--韓国はどうするべきだと考えるか。
「歌手PSYが『江南(カンナム)スタイル』をヒットさせたのは、外国ポップ歌手のように行動したからではない。PSYは韓国の歌手として遊んで笑って楽しんだ。これが“韓国スタイル”ではないだろうか。韓国は韓国だからこそよい。韓国が米国と似ていてよいというのではない。英国の友人が来れば、私たちは屋台でサバに焼酎で幸せだ。韓国と韓国人がもう少し自信を持つことを望む。不可能な目標に縛られるより、“韓国スタイル”で楽しく生きるのはどうだろうか。“満足”という名の奇跡が訪れることを願う」(中央SAUNDAY第290号)
「�国人、不可能な目標は捨てて“韓国スタイル”で暮らすべき」(1)
この記事を読んで…