扶餘陵山里の古墳群から出土した遺骨と中国唐時代の絵「王会図」に描かれた百済人の使臣に基づいて復元した百済人の男性(左)と女性の顔。 鼻が長く目の間が狭いアルタイ北方系の特徴を持つ(写真=国立扶餘博物館)。
古墳の壁画などにさまざまな顔が描かれている高句麗人とは違い、百済人の顔を表した記録や遺物は多くない。 今回の復元は、熊津百済時代の貴族が描かれた中国の絵「唐閻立本王会図」(以下、王会図)と80年代の忠南扶餘陵山里の古墳群から出土した百済貴族夫人の遺骨を基礎に行われた。
男性の場合、現在、台湾国立故宮博物館が所蔵している王会図(幅238.1センチ、高さ28.1センチ)に描かれた百済の使臣の姿に基づき、チョ・ヨンジン教授が頭部モデリングをし、先端レーザースキャナーでこれを3次元スキャンした後、顔の輪郭を復元した。 女性は陵山里53号墳で発見された6世紀ごろの百済の貴族夫人の破片化した頭蓋骨を集め、全体頭部を復元した。
復元された百済人はともに顔と鼻が長く、歯が大きく、目の間が狭いという特徴を持っていた。 百済の支配層が北方系内陸人の遺伝形質を持っていたことを表す。 男性の使臣の場合は、上下に狭く左右に広い一方、前後に飛び出した南方系の額を持ち、北方系と南方系が混ざった顔をしている。 チョ・ヨンジン博士は「女性の場合の百済上流層の典型的な顔を見せているのに対し、男性の使臣の場合は混血型の百済人と見られる。 百済の王族・貴族が土着勢力と婚姻を通じて融和を図っていたことが分かる」と説明した。
女性貴族の場合、頭蓋骨に穴をあける穿頭術を受けた痕跡が残っているのも特徴だ。 穿頭術はメキシコ・マヤ族をはじめ、古代エジプト、欧州などでも行われた手術で、当時の百済でもこの手術が行なわれていたことを確認できる。 男性の使臣の場合は、耳介がくぼんだ特異な形の耳をしているが、これは中国・日本に比べて韓国で40倍以上多く見られる典型的な「韓国型の耳」だ。
この顔は26日から来年1月13日まで忠南扶余郡国立扶餘博物館特別展「百済人の顔、百済に会う」で一般人に公開される予定。
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